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<title>哀愁のＢ級ホテル</title>
<link>http://deigohotel.koza.in</link>
<description>ホテルは旅先の仮の宿であり、生活の場でもある。又、地元の人にとっては社交の場にもなる。</description>
<language>ja</language>
<pubDate>Tue, 06 Jun 2006 13:35:13 +0900</pubDate>
<lastBuildDate>Tue, 10 Feb 2009 03:04:19 +0900</lastBuildDate>
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<title>猫の怨念</title>
<description>猫の怨念先週の事である。エライ物を見てしまった。これから語るのは、世にも恐ろしく不吉なハナシである。私の末娘は現在中学3年生。高校受験を控え諸見里にある某学習塾に通っている。授業が終わるのが夜の10時頃になるので、塾のある日は家内と交代で迎えに行く。その日は私の当番の日。朝から小雨が降ったり止んだりの蒸し暑く陰気な天気だった。朝からもやもやと偏頭痛がしていて以前ならこんな日は決まって、私の下肢関節の節々に溜まった尿酸がワサワサと騒ぎ出し関節内神経を執拗に攻撃し歩行困難にせしめる。まさに暗雲立ち込めるスティーブンキング的な夜だった。その日の晩は少しばかり塾に早く着いたので国道330号の路肩に車を寄せて、娘が出て来るのを待っていた。とその時『キキーッ！　ドンッ！』何かがぶつかる鈍い音が右側から聞こえた。そして、タイヤをきしませなじがら一台の黒い軽乗用車が走り去る…。車の窓越しに国道の内側斜線に一匹の白黒まだらの毛深い猫が横たわっているのが見えた。『ひきにげだ…』ここまではよくある光景であろう。しかしこのハナシはここからなのだ。白黒猫は突然『ぎゃあ～～！』この世の生物のものとも思えぬ断末魔の叫びを発しながら二本足で立ちあがった。血に染まり半分つぶれたその顔は苦しみと怒りにまみれ、阿修羅のごときの形相で天空を睨む。白黒まだらの全身が総猫毛立ち、苦しみを振り払いまき散らすかのようにぎゅるぎゅると柔らかな体をマツダロータリーエンジンの如くのスピードで回転させながらのた打ち回る。フィギュアスケートのスピンをしながらカチャーシーを踊り狂うような態は、まるでこの世に未練と悔いを残し不本意ながら昇天してゆく白黒猫の恨みを表現した地獄の舞いであった。国道３３０のアスファルトを阿鼻叫喚のステージと化した狂乱の舞は３分ほども続いただろうか。血に染まった猫は白黒のその顔に怨み節の表情を浮かべ私のほうを向いた。その瞬間目が合った。『ヤバイ！』本能的に目をそらしたが時すでに遅し。そして最後に『ふぎゃっ！』と鳴いて、血の海のアスファルトの上で永遠の眠りについた。授業の終わった娘を車に乗せ放心状態でウチに帰った私は、あの白黒猫が最後に見せた強い怨み目線が忘れられなかった。元来私は小心者であるが、ユーレイの話になるとわりと平気なのである。むしろ夏の夜の怪談話会になると積極的に参加する方だ。しかし怨恨や動物霊となると話が別なのだ。怨恨保持者は冷静さを欠いているので理論的でなさそうだし、動物霊は言葉が通じない。どちらも話が通じないのでイイワケができない。『もしかして…白黒猫氏は私の事を自分をひき殺した犯人だと思ってないだろうか？』『そうだ！そうに違いない！　最後のあの目は絶対に私を恨んで死んでいった目だ！』『猫のたたりは恐ろしいと言うではないか…』そう考え始めると夜も眠れない。最近どうも寝つきが悪い。夜中に冷や汗をかき急に起きたりするしトイレも近い。不眠症とあの忌まわしい睡眠時無呼吸症候群を同時発症したかも知れない。これ以上我が身に何か不幸な事が起こればそれは間違いなく『猫の怨念』である。と同時にそれは『冤罪』だ！。おわり</description>
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<category>わたくしごと</category>
<pubDate>Thu, 11 Jun 2009 11:05:45 +0900</pubDate>

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<title>Ｙの悲劇</title>
<description>Ｙの悲劇以前、『思ひ出』というタイトルで青春の美しくも(ない)悲しい出来事を書いたら、各方面から大変な反響があり続編を望む声が多かった。この駄文を読む前に是非ご一読いただきたい。自虐ネタなので発表の後、皆に嘲笑とあざけりの白い目・含み笑い目線で見られているような気がして、僕も心穏やかではなかった。よって本日は他人ネタで行くことにする。『思ひ出』に登場のＹ元(以下Ｙ)は、眠りにつく僕の美しい顔に下品な落書きをした下手人の一味として天の裁きを受け、その罰として大学を留年する羽目になる。そのいきさつたるやドラマチックで劇的だ。Ｙは高校時代ラグビー部の副主将でいわゆる典型的な体育会系。猪突猛進型で単純、熱しやすく冷め易い分かり易いタイプの性格である。毎晩ビールを鯨のごとく胃袋に流し込み、酔うと奇声を上げながら騒ぎ突然泣き出したりする誠に忙しいヒトなのだ。酒席で相手に議論を吹っかけるのが好きであるが、常にその非論理性を突かれ相手の返り討ちにあい、挙句、論破され凶暴なマナコで相手をにらみ返すも反論できずに部屋の壁に八つ当たりして額から血を流す。そんなニクメないカワイイ奴なのであった。Ｙはバイトに明け暮れていて授業終了後はほとんど毎日のようにバイト先に出勤し、かなりの高額を稼いでいた。その大半をマージャンで我々に貢ぎ、酒を喰らい毎晩のように怪気炎を上げるという荒れた連続性の規律を守り、青春を謳歌していた。当然ながら学業はおろそかになる。定期的にやって来る期末(後期)試験。この日のこの科目は絶対にＹにとって落とせない大事な必須科目である。落とすと進級できない。一夜漬けで何とかなる代物ではない。かなりの難易度。試験勉強やるにはやったが日ごろの怠慢がたたりまったく自信がない。《落第》の二文字がＹの頭のなかを駆け巡る。両親の顔が浮かんだ。浜比嘉島のオバァの顔も浮かんだ。天国のひいオジィも出てきた。焦るＹ。しかし時間だけが無常にも刻一刻と過ぎてゆく。すると、つけっぱなしのテレビから突然、松村和子の歌う当時流行った(かな？)♪帰って来いよ～　帰って来いよ～♪（この歌知ってますか？）のフレーズが流れてきてＹの鼓膜を振るわす。Ｙの心の琴線は刺激され、やがてＹはトランス状態に陥った。「そうだ！オレは4年で卒業してクニに帰るんだ！ここで落第なんか出来ない」彫刻のように言葉が刻まれてゆく。そして悪魔がささやく…『ホントは実力で解けるんだけど、すこ～しだけ、ほんのすこ～しだけ便利な事しようね』当日Ｙは一時間も早く登校し試験会場の教室のすみで自習を始める。自習と言っても試験に出そうな問題を机にひたすら書き写すのみ。その日の試験官は悪名高きカンニングハンターＴ事務官。そこは計算済みのＹ。Ｔの死角になりそうな場所の机に陣取っていた。試験が始まった。ヤマが当たった！　　大ヤマだ！これで難関突破！進級間違いなし！Ｔの動きを観察しつつ必死で書き写す。バラ色の卒業後の人生を夢見ながら…。『これは、なんだね。』突然、地の底から湧き出るような不気味なささやき。夢から覚める。背後にはＫ試験管がキツネ眼をさらに細めてほほに薄ら笑いさえ浮かべて、文字の書かれた机の上をコツコツ叩きながら立っている。しまった！Ｋがいた。大教室なので試験管は二人いる。ハンターＴに気を取られＫの存在を甘く見ていた。奈落の底に突き落とされるとはこの事。カンニングは重罪。これでバラ色の人生も進級も全てパー。頭に浮かんだやさしく微笑む両親の顔もふるさとの風景も、台風時の衛星放送のように奇妙なモザイクがかかり、そして消えた。頭が真っ白になりパニックに陥ったラガーマンＹはとっさに思いついた！学生は数千人もいる。オレの顔なぞ覚えているわけがない。《証拠を消せ！》名前の書かれた答案用紙をムンズとわしづかみにし、教室から飛び出した。自分のカバンを小脇に抱え全力で走った。脱兎のごとく走った。それはまるでタッチダウンを狙いゴールへ向かうラガーマンの姿そのものであった。100ヤード独走の後一息ついた。これで俺が会場に居たと言う物的証拠はなにもないはずだ。Ｙの試みは成功した。かに見えた。その頃、Ｙの担当教授であるＣ教授の下に一枚の学生証が届いた。Ｃ教授はまるでナチの高官も顔負けの不気味でネグラな表情を浮かべて言った。『答案用紙をもって逃げ出したまでは良いが、学生証を置きっぱなしにするとはのう～。アホな奴よ。さて、どうしてくれようか…。』帰宅後その事に気づいたＹは、もはや為す術もなく、自室で時折雄叫びを上げながら男泣きに泣いた。その後の結果は先に書いたとおりである。先に卒業する僕たちの送別会の席で、荒れに荒れたＹの目に惜別のそれではなく悔し涙が滲んでいたのを僕は見逃さなかった。ちなみにその後の彼の口癖は『悪いことはできない！　必ずバチが当たる！』であった。エピローグもちろんこの物語は事実でありＹも実在の人物である。Ｙは一年遅れでメデタク大学を卒業しコザに帰ってきて住んでいる。思い当たる人物を見つけても決して他言せず、このブログを思い出しホクソ笑むだけにして頂きたい。実直でまっすぐな性格の彼は現在、ある大手企業のサラリーマンとして肩書きも付、上司からは頼られ部下からは慕われる存在である。そして酒を飲むと同僚や後輩にこう言っているそうだ。『オレは勉強と学校が大好きで、5年間大学に通った！』彼は今でも僕の親友である。この事実をいつか白日の下に晒す事こそ親の友人の勤めだと信じている。そして生きがいでもある。おわり</description>
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<category>わたくしごと</category>
<pubDate>Sat, 28 Mar 2009 19:47:03 +0900</pubDate>

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<title>スポーツコンベンションシティー</title>
<description>毎年冬の期間（1～3月）は、本土からプロ・アマ・学生の野球・陸上をはじめ様々なスポーツのチームが春季キャンプを張る。この事はこのブログに以前から何度か紹介するが、今年も沖縄市にはかなりのチームが来てくれた。沖縄市は、合宿誘致に20数年前から行政と業界が一体となり取り組んでいて、合宿受け入れの先駆者であり受け入れ種目、人数とも県内トップクラスである。去年のデータでは、沖縄市だけでもスポーツ関連の合宿及びコンベンションで、1万数千泊の宿泊実績を残した。これはもはや産業と言えよう。その事を県内の他の市町村が指をくわえて見ている訳はなく、景気の落ち込みでかげりの見える観光産業の中で唯一ともいえる成長分野の合宿は、多くの市町村が積極的に誘致活動に取り組んでいる。極私的に言わしてもらえば良い合宿地の条件とは、温暖な気候はもちろんであるが、トレーニング施設の充実、栄養面などを考えてくれる良好な宿舎、病院や商店街があり物の調達が容易に出来るような都市機能を有し、なお且つ交通渋滞の少なく休日には散歩や息抜きの出来るような環境を持つ街。どうだ！　コザをおいてほかにあるまい！（かなり強引な論法ではあるが…）しかし、今年は少しだけなんかヘンである。僕の肌感覚なのであるが沖縄市へ合宿で訪れるチームが全体的に減っているようだ。景気の低迷で廃部・休部に追い込まれたチーム、あるいは運営費の削減で合宿地の変更もしくは取りやめたチームも一部あるが、それよりも他地域への合宿地変更もかなりあると聞く。杞憂かもしれないがこの合宿産業がなくなると、宿泊業のみならずそこに食材を供給する業者、居酒屋、コンビニ、コザクラなどの怪しい飲み屋も少なからず影響を受ける。沖縄市はスポーツコンベンションシティーを宣言しているが、業界も行政もどこかに先駆者としての慢心はなかったか、おごりはなかったか、今一度見つめ直したい。今年、気になることがあった。多くの陸上関係の合宿者（合宿者が最も多い）がトレーニングを行う県営陸上競技場が、来年のインタハイに向けての改修工事を今年の1月から開始し、閉鎖中である。よって多くの競技者が、沖縄市営陸上競技場へ集中するのでかなりの混雑である。さらに何らかの行事で沖縄市営陸上競技場が専用使用（貸切）になると、彼ら（合宿者）は行き場を失う。練習会場がない。せっかく沖縄まで来たのに…。全天候型の陸上競技場は近隣だと北谷と嘉手納にある。しかしそんな時は決まって危機感を感じたどこかのチームが早い者勝ちで専用使用（貸切）で押さえてしまう。予算のない学生チーム等は不利である。今年何度かそのような事態に直面した。『練習会場がありません…』幾度となく合宿者の嘆きの声を耳にした。この様な非常事態であればこそ、行政が県市町村の垣根を乗り越え、中部地域どこかの競技場はオープンで開放し、市民や合宿者が使用できる場所を確保する位の然るべく対策があっても良いのではなかろうか？『スポーツコンベンションシティ宣言』1996年9月25日に沖縄市議会にて全会一致で議決されている。おわり</description>
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<category>考察</category>
<pubDate>Sat, 28 Mar 2009 12:05:06 +0900</pubDate>

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<title>この人は誰？　part2</title>
<description>この人は誰？両端の二人は大抵の人がご存知のはずデス。左から実業団チーム最強の女子ソフトボールのルネサス高崎の監督で元全日本の4番打者。宇津木麗華サン。男顔負けの腕力でルネサス一家をぐいぐいと引っ張り、チームを何度も日本一へ導く。真ん中は前回も登場したわがB級ホテルの会長で大オバァ。戦火とアメリカユー(世)をしぶとく生き抜いてきた元ひめゆりの乙女。コザの生き字引でサーターアンダギー作りの達人。選手から沖縄のお母さんと慕われる(怖がられる)。さてお次は、北京オリンピック女子ソフトボール金メダルの立役者。あの上野由起子選手。世界のUENOである。北京オリンピックの後、テレビ出演も多数であちこちに引っ張り出されもてはやされただろうに、礼儀正しくいつも笑顔で少しシャイなその性格はちっとも変わっていなかった。3月7日所属チームのルネサス高崎のメンバーと共に、19日間の沖縄での合宿を終えデイゴホテルを後にする。</description>
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<category>Ｂ級ホテルのないしょ話</category>
<pubDate>Fri, 27 Mar 2009 18:49:27 +0900</pubDate>

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<title>この人は誰？</title>
<description>この人は誰？沖縄も寒いが本土はもっと寒い。やはり冬はこうでなくてはならない。この温度差があるからこそ、陸上を皮切りにプロ野球・ソフトボール他ありとあらゆるスポーツのチームが春(冬)合宿へと沖縄へやって来る。今や立派な産業なのだ。20数年前から、細々と地道にスポーツ合宿を受け入れて来たお陰か、今や一冬で20数チームが我がデイゴホテルでキャンプを張っていただいている。この時期がまさにかきいれ時であり、その営業成績が我がB級ホテルの命運を左右するのである。仮にこの時期の営業成績が芳しくないとたちまち僕は社長をクビになり、コザクラあたりで飲んだくれて暴言を吐く事すらままならず、路頭に迷い借金取りに追いまくられ逃亡生活を余儀なくされる事間違いなしなのだ。『デイゴはいつも満室で部屋が取れない！』などと言うデマが時々飛び交うが、これはたまたま２月及び３月のこの時期に『満室です！』と断られたお客様のハナシが増幅したものであり、もしくは僕の人間性に恨みを抱くヤカラ(かなり多い)の犯行なのだ。さて、話を戻そう。下の写真である。左側の首からメダルをぶら下げ満面の笑みを浮かべるオバァは、デイゴの創業者でありママさん・女将さんなどと呼ばれる僕のDNAの基で、３年前に謀略の罠にはまり《B級ホテルの乱》で政権交代により会長職に追いやられたヒト。右側の御仁は今や時の人、去年の北京オリンピックで100ｍ×4（400ｍ）リレーでアンカーを務め日本チームを銅メダルに導いたあの朝原宣治サンです。説明は不要ですよね。選手時代から10年以上も毎年のようにデイゴをご利用頂いた。会長とは旧知の仲なのである。朝原サンは所属する大阪ガスチームの合宿に同行して来てくれたのだった。今後は指導者として後進の指導に当たるとの事。わざわざ銅メダルをかけてくれて、写真をたくさん撮らせてもらった。これまでかれこれ20数年微力ながらもスポーツ合宿を受け入れて来たご褒美ととらえ、この写真は家宝（社宝）にしたい。ちなみに会長は朝原チームの銅メダル獲得の瞬間、わが子の偉業のようにテレビの前で涙を流して喜んだ。本物のわが子はと言うと、『オレは母を長生きさせる為、わざと心配をかけ続けているのだヨ！』とうそぶいている。おわり</description>
<link>http://deigohotel.koza.in/e2410345.html</link>
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<category>Ｂ級ホテルのないしょ話</category>
<pubDate>Fri, 30 Jan 2009 15:39:20 +0900</pubDate>

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<title>思ひ出</title>
<description>あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。長い事ブログの更新を怠っており申し訳ありません。これに懲りずに時々のぞいてやって下さいね。『思ひ出』こうタイトルを書くと、美しきお話に聞こえるが決してそうではない。僕の人生の恥かき経験ベストスリーに入る、トホホなハナシ。新年早々こんな話はしたくないが鹿児島のサンマ君(学生時代の友人)のしつこいリクエストがあるのであえて書く。約３０年近く前。確か大学３年生だった頃のハナシ。入学時の志はどこへやら、マージャンを覚え酒に飲まれかつ学校をサボりバイトへ行く、というその日暮らしの貧乏で女気なしの生活を送っていた。そんな我々でも絶対に達成しなければならない目標があった。『４年間で無事卒業する事！』不可侵の聖域であった。類は友を呼び、似たようなもの同志が租界を作り怠惰な生活を送るが、１年に２回しかない定期試験にはそれこそ全神経を集中して試験の傾向と対策・教授の癖・ここ数年間の問題の情報収集にＣＩＡ並みに奔走した。したがって試験前の2週間ほどは模範的で真面目な学生に変身する。この日も我々にとってのつらい2週間が終わり、恒例の試験終了徹夜大マージャン大会が仲間内で行われた。何とも言えない開放感を味わう至高のひと時である。後で思えば悲劇の種はすでにその時に蒔かれていた。昼過ぎに始まった大マージャン大会は深夜に終了し、その後いつもの様にＹ元の部屋で酒盛りが始まり開放感も手伝い大いに盛り上がり、2週間の緊張感から解き放たれた僕の体は酒の勢いも手伝い、まもなく深い眠りへと誘われていった…。深い睡眠で精気を取り戻した若い体は、前夜の所業をもろともせずに翌朝早々と爽やかに目覚めた。そこはもちろん前夜よりちらかったＹ元の部屋。昨日の仲間が2～3人だらしなく雑魚寝をしている。『ケッ！情けないヤツらめ！』捨てぜりふを吐きＹ元の部屋を出て自分の部屋へと足を向けた。途中お腹がゴロゴロなった。若い健康な体は胃袋へのカロリーの補給を要求している。そこで僕は自分の部屋へは戻らずにそのまま近くの食堂へ朝飯を食うために直行した。行きつけの食堂で〈焼きそば定食〉なる炭水化物をおかずに炭水化物を食う、という栄養学的にはおぞましき暴挙を敢行し、ついでに近くの｢山田商店｣と言うスーパー兼雑貨屋でこまごまとした日用品を買い揃え家路についた。その頃から僕の周りに漂う妙な空気に気づき始める。食堂にいる時から薄々ながらではあるが、どうも他人の視線を感じる。視線の元を振り返ると皆サッと目をそらす。すれ違うヒトたちが一様に同様の反応を示す。食堂の客もオバサンも山田商店の客もレジのオバサンも確かそうであったなぁ。中には視線を逆の方向へ向け薄ら笑いを浮かべている者さえいる。何とも言えないイヤな予感が脳裏をかすめた。何気なしに道端に駐車中の車のウインドに顔を向ける。俺の顔が映った。そこには別の顔がある。なんだこりゃ～！　叫ぶ。目を凝らしてよく見る。突然金属バットで頭を殴られたような感触を覚え、気を失いかけた。そこに映った顔は、端正な僕のそれではなく、メチャクチャに落書きされた醜悪なゾンビ顔…。芸術性のかけらも感じぬヒワイな放送禁止用語とおなじみのヤクザ屋サンキズマークに唐草模様にラーメン鉢のふち模様。『ヤ・ラ・レ・タ…』昨日Ｙ元の部屋で爆睡中にやられたのだ！創造してみてくれ。この顔で知り合いの多い自分の暮らす街を歩き回り、食堂で焼きそば定食を食べ、山田商店で買い物をしたのだ。己の情けなさと不甲斐なさと恥ずかしさが怒涛のように込み上げて来て、顔から火が吹いた。自分のおかれた立場を知ってしまった以上まともにお天道様の元を歩く事が出来ない。気づいた時点からのアパートの部屋までの距離は約100メートル。地球の裏側のブラジル程の距離に感じられた。その後どのようにしてアパートの部屋に帰りついたかは意識が朦朧混濁していた為定かではないが、人生最速のダッシュであった事はほぼ間違いなかろう。しばらくは皆の笑いものにされた。（その後は伝説）その後の調査で犯行に加わったのはＹ元とＹ本とＩ原とＧ屋だと判明したが、たかが大学生のガキのイタズラ。ここで怒るのは大人気ない。僕も大人の対応で一緒に自虐的に悲しく笑った。復讐心で煮えたぎる僕の心の奥底を本人達は知るよしもない。Ｙ元とＹ本とＩ原とＧ屋に対して毎晩ヤツラに天誅を加えんが為、丑の刻参りを(面倒だから…)創造で実行した。その後Ｙ元とＩ原はメデタク掟破りの留年！　学費を一年分多く払う羽目になり、Ｙ本は２年続けて進級試験に失敗し大学を去ることになり、これまで払った学費を無駄にしてさびしく故郷の大分へ帰っていった。少々呪いが効きすぎたようである。しかし３０年近く経っても、Ｇ屋だけにはなんら効果が現れず今や県内某銀行の某支店長に納まり、のうのうと日々を過ごしている。気長に待つ事にする。近い将来彼が失脚及びリストラの憂き目にあっても僕のせいでは断じてない。天誅なのだ。おわり</description>
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<category>わたくしごと</category>
<pubDate>Mon, 05 Jan 2009 18:22:42 +0900</pubDate>

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<title>ヘンな外人</title>
<description>つい4、５日前の事。事務処理中のさわやかな朝。フロント普久原主任が困った顔で「電話を変わってください。英語でまくし立てられて何を言われているのか解りません…。」昔とったきねづか。我がＢ級ホテルが米軍御用達宿だった頃フロントの職員は英会話が必須科目だった。もちろん意思さえ通じればブロークンＯＫのコザエイゴ。お陰で僕も、カタクチ単語並べ文法無視ブロークンイングリッシュで予約ぐらい取れる。要は度胸！　英語なんてしょせん他国語。下手で何が悪い！心に言い聞かせ受話器をとる。「ハロー！　あんたはオーナーか？　あなたの親父さんを知っている。俺は昔コザに住んでいた。バリバリバラバラ…etc.」確かに聴き取りにくく、こちらの反応を無視して話しかけてくる。直感した！酔っている！　強烈な早口のダミ声で声の質口調からして老人である事に間違いない。あなたのホテルは今何室ぐらいで、ビジネスは好調か？　コザの景気はどうだ？とか今の観光協会長はよく知っている。などと脈絡も関連性もない話を取りとめもなく続ける。何の用だ？予約の電話なのだろうか？　国際電話ではないのか？電話代は大丈夫かな？しかし、昔コザにいて死んだ親父を知っているらしい。邪険には出来ない。コザを懐かしんでいるのだ。忘れかけているブロークンイングリッシュのトレーニングにもなるしここはもう少しお相手してあげようと敬老精神を発揮する。10分ほど経過。それでも話は終わらない。このまま永遠に続くのか。「ところで今日はいったい何の御用で…」　さりげなく話題を振ってみた。するとヤンキーオジイは「君の英語はウマい。アメリカの大学へ行ったのか？」心をくすぐるではないか…。ブロークンにむかっていけしゃあしゃあと。「独学だ」さりげなく答えたが、気分が悪いはずはない。またまたヤンキーオジイのペースに巻き込まれてしばらく取りとめもない話が続く。さらに５分ほど経過した。相手の電話代も気になる。そろそろ僕の英語のボキャブラリーも精神状態も限界点に近づきつつあったので、勇気を振り絞り「私も今忙しいので用がなければ電話を切りたいのだが…」と告げると、余りにもあっさりと「ＯＫわかった。じゃあな！楽しかった。」と言って電話を切ってしまった。いったいこの電話は何だったのであろうか？　聞きそびれたがどこからかけて来たのだろうか？　アメリカからなら電話代も馬鹿にならないだろうに…。と考えていたところへ普久原主任現る。「助かりました。ありがとう御座います。しかし長時間いったい何の話で…？」「なんか懐かしくてかけてきたんじゃないの。ぼくもようわからん」「しかし失礼な人ですね。フリーコールでかけてきて…」この一言で温厚な僕もキレタ。「コノッ！ク○ヤンキージ○ィ～!!」放送禁止用語？で叫んでしまった。おわりフリーコール＝料金先方持ち。つまりこの場合通話料金は全て当方持ちとなる。トホホ…。</description>
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<category>ホテルストーリー</category>
<pubDate>Fri, 28 Nov 2008 16:40:00 +0900</pubDate>

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<title>葛飾柴又帝釈天</title>
<description>前回、街の“らしさ”について書いたが、それを最も力強く表現する街。葛飾柴又。出張？のついでに行って来た。あの有名な『フーテンの寅さん』発祥の地である。駅を出るといきなり寅さんの銅像。記念撮影のメッカだそうだ。そして道向こうにすぐに商店街の入り口がある。約2百メートルほどの長さか？　商店街の規模としては小ぶりだが、この日の人通りはまあまだ。平日だからか年配のお客さん（観光客）が多い。車椅子もごく自然に往来を闊歩する。よく見ると葛飾区のボランティアNPOの身分証を胸に下げた人たちが案内をしていた。こんな駄菓子屋昔よく見かけたよね。　昭和レトロですね～。　ノスタルジ～ですね～。このような露天型店舗が数多く並んでいる。ほとんどの店が販売品目を絞って勝負をかけている。いわゆる専門店街なのだ。この店で製造販売しているセキトメ、ニッキ、ハッカ、ミルク、の各種の飴をバラマキ系土産として大量に購入。ゆうパックにて郵送してもらう。大変評判がよかった。（特に年配の方々に・・・）本当に寅さんの実家のお店のごとく、目の前で煎餅を焼いている。お客さんの目があるから常に真剣勝負なのだそうだ。この商店街の大半が製造販売業であり、露店であり、家内制手工業なのだ。コザとは趣が違うが、この街を歩いていると何かしらの安堵感と落ち着きを感じる。街のヒトたちは自然に呼吸し会話し生活しているという実感を感じる。もちろん観光客も多いが、違和感を感じることなく街に融合している。帝釈天がこの商店街の終点で、つまり駅を降りて帝釈天に向かうのには必然的に商店街の中を通ってゆく。まっことうまく出来ている。そして帝釈天から進行方向にさらに進むと、そこには、大きなナントカガワ（名前を忘れた。ゴメンナサイ！）がゆったりと流れ、河川敷には何面もの草野球場があり緑豊かな光景に出くわす。向こう岸は千葉県なのだそうだ。そしてここがあの（誰かが歌ってヒットした）有名な《矢切の渡し》のその場所であった。緑の平野を蛇行して流れる雄大なナントカガワや、草野球に興じる子供たちの嬌声をBGMに、土手の上から辺りを眺めながらひとりたたずんでいると、秋の風に優しくほほをなでられた僕の心はやさしさと言いようのない安堵感で満たされた。（詩的だ）ここは本当に東京か？　僕の体内GPS に狂いが生じつつあるのを認識しながら帰りの駅へと向かう。“葛飾柴又”　又来てみたい街のひとつだ。</description>
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<category>漫遊記</category>
<pubDate>Sun, 26 Oct 2008 16:56:31 +0900</pubDate>

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<title>とみとんへ行く</title>
<description>ショッピングを楽しむなどという事に縁の無い小生。誰かと（特に女性）一緒に買い物歩きまくりなど苦痛以外の何者でもない。買い物は市場と仲松商事だけで十分である。先日、娘にせがまれてその苦痛の行脚を敢行した。普段家庭を顧みない、しょぼくれ中年親父の家族に対する懐柔策であり罪滅ぼしなのだ。悲しきニッポンの働くオヤジの正しき？姿を投影しているのである。行き先は、南部豊崎地区に昨年鳴り物入りでオープンした郊外複合型大型商業施設『とみとん』。　　　はじめていく。デカイ事もデカイがあのアウトレットモール『あしびなー』のまん前。『あしびなー』だけでは不足なのか、さらに巨大な商業施設を作る発想が僕には理解できない。それだけの購買力があると言う事か？　　それとも相乗効果ねらい？しかし…。土曜日の昼過ぎであったが人がごった返すと言うほどでもなく、らくらく駐車が出来た。店内を徘徊してみたが、流行に疎くショッピングに苦痛を感じるタイプの僕の眼には沖縄市周辺のそれと大差ないように映るのであるが…。『あしびなー』も覗いてみた。観光客のレンタカーが結構多い。いまやこのタイプのアウトレットや大型商業施設は全国地方の国道沿いには何処でも目にする。わざわざ沖縄まで来て買うほどの物があるのかなぁ。こういう風景が、ニッポンの各地で普通になって来た。そして沖縄でも普通になって来つつある。“らしさ”はどこへ行ったのだろう。市場や商店街。まちやぐわーに種種雑多の路面店。屋台。雑踏。賑わい。店員とのやりとり。しーぶん（おまけ）。いろんな人種のヒトたち。街のカジャ（におい）。音。猥雑。“コザのらしさ”をこのように連想するのは僕だけだろうか？などと空想しつつ、娘との２時間のショッピングと言う苦行を成し遂げ、コザの街へと帰途につく。つづく</description>
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<category>考察</category>
<pubDate>Tue, 14 Oct 2008 16:00:16 +0900</pubDate>

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<title>栄誉ある招待</title>
<description>しばらくぶりの登場です。実はこの2ヶ月の間出張が多く、多忙な日々が続き書く時間が無かったのである。えっ！　コザクラで飲んでるのを見た？人違いデス！　もしくはアレは幽体離脱した僕の分身なのであろう。ところで、その数回の内の出張のひとつがあるパーティへの出席の為であった。B級ホテルのオヤジにとって今後の人生で再びあるかないかの、栄誉あるパーティーへの招待状が届いた。《第29回　オリンピック競技大会　女子ソフトボール日本代表選手団優勝祝賀会》日時：平成20年9月24日（水）15：00場所：グランドプリンスホテル新高輪　『飛天』今日は多くを書かない。下記の写真をごらんあれ。挨拶をする日本ソフトボール協会の山崎拓会長。いわずと知れた自民党の重鎮。この日は麻生内閣組閣の日であったが・・・。国際オリンピック委員の岡野俊一郎さん1000人はいたか？　中でも上野投手は時の人。常にまわりに人がきが出来ていてサイン攻め。近づく事が出来なかった。この人も大忙し。名(迷)解説の宇津木妙子さん。元全日本監督。現ルネサス高崎総監督。みよ！キャッチャーの乾選手にかけてもらった金メダル。ずっしり重い。縁あってここ十数年、全日本代表や宇津木総監督率いるルネサス高崎の春季キャンプを我がB級ホテルでお世話させて頂いた。その関係でご招待頂いた次第。早速僕は、招待状に力強く【出席】と書き返事を出す。そして忙しく働く弊社社員に、「せっかくのご招待なので、多忙だが行く事にする」と喜びをひた隠しにしながら、宣言した。さらに“ホントは行きたくないんだけれども…”と言うような小難しい顔をして、“これもお付き合いだし…”と二度三度うなずきつつ“その他にも、営業活動として、お得意様へご挨拶。提携旅行社への挨拶。東京の現状視察。東京のホテルの視察。”と、でたらめな理由を並べ立てこの場所に来た。美味しい料理にすばらしきパーティ。すっかりよい気分になった僕は、現地で合流した仲間たちと宵闇迫る高輪の坂をヨロヨロと下り、品川駅からサラリーマンの街新橋へ2次会へと繰り出した。その後、深夜の終電前までこの勢いが衰えなかったのは言うまでも無い。そして、東京滞在中に、先に宣言した“その他ついでの営業活動ウンヌン…”が達成されなかったのも言うまでもない。</description>
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<category>Ｂ級ホテルのないしょ話</category>
<pubDate>Wed, 01 Oct 2008 19:31:38 +0900</pubDate>

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<title>くらしきを訪ねて</title>
<description>《倉敷》と書くと我々はどうもダムや廃棄物処理場を思い浮かべてしまう。（実際沖縄市にそんな場所がある）そうではない。岡山県倉敷市のことだ。漫遊国のメンバーと共に、あるイベントの事で行って来た。拡大解釈すれば仕事なのだ。僕は倉敷の事はかつて紡績で栄えた町だとか、巨大水島コンビナートの所在地である事だとか、確かいつだったか開通した瀬戸大橋の本州側だったかな？　程度の事しか知らなかった。僕にとっては処女地なのである。江戸時代この地は天領であり（幕府の直轄地）、地方藩の影響を受ける事無く豊かな自然を背景に物流の中継地として栄え、商人たちによって白壁の土蔵と屋敷が多数作られた。それが現在も『倉敷美観地区』として保存されており、その美しき街並みは全国から多くの観光客を呼び寄せる。しかし倉敷での旅遊記は他のメンバーが書いているので、ここでは譲る。僕が最も興味を惹かれたのは、倉敷駅前の商店街についてであった。倉敷商工会議所の岡副会頭と倉敷文化振興財団の方々に案内してもらった。大型店舗の台頭やライフスタイルの変化等々、ご他聞にもれず、これまで賑わっていた倉敷の商店街もじわじわと空き店舗が目立つようになっていったとの事。わが街同様全国何処の地方都市商店街でも、当たりまえによく耳にする話である。しかしこの近年、駅前のえびす商店街あたりに少しずつ変化が見られるのだと言う。シャッターが上がり始め、空き店舗率が減り、人々が再び街で買い物をするようになったと言う。様々なイベントを展開し誘客につなげた事もあるが、家賃が下がり始め外部からの出店希望者が増えた事、さらに地元商店街の人たちも自分の本分である商売そのものを見直し、大規模店舗では真似の出来ない店作りを研究・実践して来た事が空き店舗率の低下に結びついたのではなかろうか。との事であった。確かにここには思わず覗いて見たくなる様な魅力的な店が多い。昔ながらの八百屋も肉屋も魚屋もある。昭和レトロの駄菓子屋にはラムネが冷やされていてその近くにブランド品専門のバッグ屋があったり、倉敷の街によく似合う白壁の骨董品屋や備前焼専門の店がある。ある靴屋では4万円以上もする革靴が展示されていて、聞くと、これは見本でこの店は店で製作したオリジナルの靴しか販売しないとの事。そしてお客さんの足に合わせたオンリーワンシューズの専門店でもあるとの事。メーカーのシューズを仕入れて薄利多売の商売をするよりも、この方が商売として十分成り立つのだそうである。『商店街には大規模店にないような色んな種類の色んな性格の店があって、それぞれがお客様のニーズに応えていってそれぞれが固定客を持っている。そういう魅力的な店が増えればおのずと客も戻ってくる。』などとその夜の反省会（飲み会）で倉敷地ビールを飲みながらエラソーな事を赤ら顔のしたり顔で、ホザく僕がいた。しかし…。　言うのは簡単だよな～。観光ビューローが運営する観光案内所。休憩が出来て、コインロッカーがある。利用率は高いそうだ。</description>
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<category>漫遊記</category>
<pubDate>Mon, 18 Aug 2008 17:49:44 +0900</pubDate>

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<title>恥ずかしかったこと＝青春の思い出</title>
<description>20数年前。名古屋の大学に通う大志を抱く青年だった頃のハナシ。親元を離れ名古屋で4年間大学生活を過ごした。初めての1人暮らし。当初は、小うるさい親元から離れた開放感と1人暮らしの気軽さで、(女なしの)青春を満喫するが、それもつかの間。しばらくすると、炊事、洗濯、家計のやりくり全てが自己責任の1人暮らしの労苦と侘しさと人生の厳しさを実感する事となった。当然貧乏困窮生活であった。今の僕が、怠惰ながらも何とか人並みの社会生活を過ごせているのも、あの頃の経験に依る所が大きい。よって夏休みにはコザへ帰省するのであるが、交通手段は飛行機しかない。当時は今ほど複雑な割引制度などなく、季節を問わず料金は均一でチケットの種類は往復割引、団体割引、回数券位のものであった。貧乏学生の家計にとっては大きな出費である。しかし、世間は志し高き貧乏青年を見捨てない。スカイメイトなる有難き制度があった。全国全路線全便空席さえあれば、５０％割引。しつこいようだが半額である。この制度は大いに利用させてもらった。しかし、22歳になると同時にその権利が失効する。大切な童貞を失うかのごとく…。そこで登場するのが偽造スカイメイトカード。当時はおおらかゆえ、イマドキのtaspoのような訳の分からぬ官僚根性丸出しのコザカシイ審査などしない。その手口はこうである。カードの発行には、一応証明書の提出が義務付けられているので、年齢の証明として保険証を使用する。当時の保険証はカードではない。紙製。ここがミソなのだ。保険証をコピーする。そしてその保険証のコピーの生年月日の生年の項を修正液で消し、その上から新たな生年月日を書き込む。それを再びコピーしたら、押しも押されもせぬ証明書の完成である。それを旅行代理店に持ち込み、スカイメイトカードを申請すると数日後には21歳以下の君が出来上がるという寸法だ。代理店に友人（共犯者）でもいればより完全犯罪の率が高い。しかし、その手の事は決して真似してはイケナイ。エッ？　お前もヤッタだろって？志高きセーネンがそんな事する訳がない。（もう時効だろ！）話が大きくそれてしまった。おお、そうだ恥ずかしいハナシであった。言っておくが恥ずべきハナシではないのだよ。そんな訳で当時は偽造スカイメイトが大いに出まわり、それなりに市場の活性化に役立っていたように思う。これはあくまで僕の想像だが、航空会社もその実態を見て見ぬフリの感があり、あまりおおっぴらに認めてしまうのも社会通念上よくないと考え、時々抜き打ち的に検査をする。スカイメイト使用の怪しい老け顔男女に空港のチェックインカウンターで、『お客様、干支は何でしょうか？』などと係りのネーチャンがスルドク笑顔で聞いてくる。しかしテキもさるもの、そんな事先刻承知。余裕のしたり顔で『辰年生まれの２１歳』などと聞かれもしないことまで答えて、ゲートをいとも簡単にくぐっていく。そして僕の21歳の夏。正真正銘のホンモノスカイメイト証をもって名古屋に戻る為に那覇空港にたたずむ。友人たち、ふるさと沖縄とのしばしの別れを惜しみ、この夏の思い出を一つ一つ胸に刻み込むように瞑想に浸り、悦に入っていた。まるで映画の主人公。アナウンスがあった。どうやら乗れるらしい。チェックインカウンターへ向かう。なかなか美形のネーチャンだ。スカイメイト証を差し出す。すると突然。笑顔の美形ネーチャンがその笑顔とは裏腹の無慈悲な機械声で聞いた『お客様、干支は何でしょうか？』激しく動揺した。俺は２１歳に見えないのか？　俺は老け顔か？自分の容姿を恨んだ！　親を恨んだ！　そして叫んだ！『しし座ですっ！』一瞬の静寂の後、大爆笑が起こった。カウンター内の美形ネーチャンのほかに数人の係りの人がこの会話を聞いていた。ネーチャンは７秒ほど腹を抱えて笑った後、やっと絞り出すような声で言った。『けっ結構です！　あっあちらからお進み下さい。よ、よい旅を。』何せ純情な２１歳の青年である。顔から火が吹いた。汗が滴り落ちた。朦朧として飛行機に乗り込むこの時の僕は、瞬間血圧２００は超えていたに違いない。名古屋までのフライトがどのような物であったかは覚えていない。ただ、小牧空港に降り立つ飛行機の中から見る濃尾平野に沈みゆく夕日がもの凄くきれいだった。傷心の俺は夕日に問うた。俺はオッサン顔か？おわり</description>
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<category>わたくしごと</category>
<pubDate>Wed, 09 Jul 2008 03:58:52 +0900</pubDate>

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<title>暑気あたり</title>
<description>先日の出来事。このところの暑さと二日酔いで最悪の気分。今日は絶対に何があろうと誰に誘われようと、居留守や仮病を使ってでもおとなしくしていようと心に誓い、その決心を確固たるモノにする為。ツタヤへ行き一泊返しでビデオを借り、ついでに文庫本も買った。朦朧としたアタマでは、ツタヤのカードを出すのももどかしく、そそくさと金を払い、店員の返却日の長たらしい説明を半分聞き流し家路へと急いだ。7歩ほど歩いた後、店員に呼び止められた。『お客さん、商品忘れてます！』動揺した僕であったが、なにくわぬ顔でレジに戻った。『ウム！』などとエラソーに商品を受け取り、再びきびすを返す僕がいた。大人の対応なのだ。そして翌日、久しぶりの買出しで、タウンプラザかねひでコザ十字路店に行く。暑さと、買出し商品の多さと、前に並ぶオバサンのノロノロレジ払いに少々イライラが募ったが、ここは大人の対応。ササッとレジを済ませ、領収書を受け取り、家路へ向かう。3歩ほど歩いてところで店員に呼び止められた。『お客さん！商品！』声がデカイ！　今度は他の客の視線を浴びてしまったので、さすがにエラソーに『ウムッ！』はマズイと思ったので、今度は『ドモッ！ドモッ！』とハニカミ薄ら笑いを浮かべながら商品をひったくり、その場をしのいだ。こんな経験は初めてではない。僕は考え事をすると、ところかまわず瞑想状態に陥りこのような凡ミスをしでかすことがあるが、今回はチト違う。しかも二日つづけて…。もはや我が脳は、アルコールで縮んでしまったのか、ハタマタ単なる暑さゆえの脳的暑気あたり（そんな物があるかどうかは分からない）なのか…。などと思考をめぐらすうちに、何の脈絡もなく過去の恥ずかしい経験をいくつか思い出してしまった。あれは20数年前の出来事。まだ僕が紅顔の美少年だった頃のハナシ。残念ながら本日は時間切れ。次回へと続く・・・・。</description>
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<category>わたくしごと</category>
<pubDate>Tue, 08 Jul 2008 03:08:57 +0900</pubDate>

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<title>最強（凶）オバサン！</title>
<description>デイゴホテル内レストラン『うりずん』。自分でいうのもナンだが、B級グルメ界でなかなかの人気。飛び込み客よりも、なぜか宴会、パーティー、模合い、グループでの会食等の予約客が多い。しかも、その構成客層は40代から70代までのオバサマ方がほぼ8割を占める。人生の、酸いも辛いも、美味いも不味いも、高いも安いも知り尽くした最強の面々である。そういう客層に支えられていると言う事は、大抵の事では動じない。コワイモノナシなのである。とまれ。ここで　『私のことか？』　などとウチアタイ(心当たり)をしている読者の方がいらしても誤解しないで頂きたい。あくまでウチの常連のお客様の一部の大半の方の事である。日本語になってないが、客の悪口を書くと我が零細企業の商売に微妙な影響を与えかねないので苦しい心中察してお読み頂きたい。さて話を戻す。ある日の昼食時の事。いつもの○○会の定例会。メンバーは前述の8割層を占めるオバサマ方。月に一度気の合う仲間が集まり食事をかねての親睦模合い。いつものように個室を提供。1000円のお任せランチを摂りながら和気あいあいと会も滞りなく進みしばらく経った頃。そこに会のメンバーの一人のややメタボ風丸顔オバサマが遅れて到着。『私は食事を済ませて来たからコーヒーだけでいいわ！』とオバサマはベテランウエイトレスY子に告げた。《個室を提供してコーヒーじゃ割に合わないけど、他の方々がちゃんとランチを摂ってくれたし…。まあいいかぁ～》とY子が思ったかどうかは定かでない。そして忌憚のない仲間たちと楽しい時を過ごしたオバサマ方は満足げな顔で個室から退出し、それぞれが食事代の清算の為レジに並んだ。ほぼ全員が清算を終えた頃、ベテランウエイトレスY子は先述のメタボオバサンからまだコーヒー代のお支払いを頂いてないのを見逃さなかった。勇気を振り絞りまだ友達とのユンタク（おしゃべり）に夢中なメタボオバサンに近づき…Y子　『あの～、まだご清算いただいておりませんが…』オバサン　『何言ってるの！　私、今日は食事してないわよ！』Y子　『ええ、ですがコーヒーをお飲みになっております。』オバサン　『ランチタイムだからコーヒーはサービスでタダでしょ！』Y子　『ランチタイムのドリンクのサービスは、お食事をご注文されたお客様のみタダでございまして～、コーヒーだけなら２５０円になりますが…』オバサン　『ハッサビヨ！（あれま！）食事は他の人が取っているさ！あんたたちはケチだね～！』Y子　『・・・・・』とメタボ丸顔オバサンはまん丸い目をキツネ目に吊り上げて、中国語の第２声のイントネーションの様な素っ頓狂な声音で捨て台詞を吐きながら、２５０円を放り投げるようにして去って行ったそうな。あまりの強引な論理の展開に言葉を失ったA子が心の中で、《あんなオバサンには決してなるまい！！》と誓ったかどうかは定かでない。最強(凶)オバサンの思考の奥底に潜む常識と非常識の境界線は、僕にとって永遠の神秘である。おわり</description>
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<category>ホテルストーリー</category>
<pubDate>Fri, 06 Jun 2008 22:43:14 +0900</pubDate>

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<title>続報！　犯人に告ぐ！</title>
<description>ついに犯人逮捕！去年のクリスマスの頃にデイゴホテルで起きた客室液晶テレビ盗難事件。（昨年12月27日掲載　犯人に告ぐ！　絶対参照）ご記憶の方も多いと思う。たくさんの人にその後の経過を聞かれた。証拠多数ありで防犯カメラに面相も写っており、宿泊票の記載も本名で住所も実家。逮捕は時間の問題かと思われたが、意外にその後の進展はなかった。がしか～し。世の中そんなに甘くない。まして窃盗行為が許されるわけでもない。4月後半頃、沖縄署の刑事課から事件の進捗についての連絡があった。なんと、犯人のSは住居を転々とした後、4月某日、県内某警察署に別件で逮捕されていた。その情報を得た沖縄署の刑事がその署へ出向き、接見取調べを行うと素直にデイゴホテルでの犯行を自供したとの事。犯人Ｓの別件逮捕理由を尋ねても、ケーサツは本事案に関わること意外は口が固く、はっきりと教えてくれなかったが、僕の鋭い分析観察ではどうも別件も窃盗クサい。ケーサツによると犯人Ｓは初犯で、逮捕によりすっかり観念した様子で全て洗いざらいきれいに吐いて今は犯行を悔いているとの事。実況見分でホテルの犯行現場まで来たが、彼はフロントの前を通り過ぎる時に、しょぼくれ、うなだれ、すまなさそうな顔をしてぴょこりとあたまを下げた。何処にでもいるフツーの青年の顔であった。さて、持ち去られた液晶テレビの行方である。犯人によると、その日の内に市内の某古物商（最近流行りの“何でも売ります買います”のアレ）に持って行き現金化したとの事。　（いくらで引き取られたか興味のある所だが…）しかし、あれから4ヶ月あまり経っている。ほぼ絶望視していたのであるが…。ところがどっこいこのテレビ。しぶとく生きていた。奇跡的に売れてなかった。古物商は原則的に盗品を引き取った場合、その持ち主に返さねばならないとの事。期待はしていなかったが、テレビも無事戻ってきたのであった。真にメデタシメデタシなのであった。奇跡の生還を遂げた液晶テレビ犯行の動機が、仕事にあぶれ適当な仕事がみつからず、生活費に困り…。との事。そんな人は世の中にたくさんいる。それを容認したら、世の中泥棒だらけだ！その気になればどんな仕事だって出来るはずだ。要は本人の心がけの問題なのだ。と、心の中でつぶやくが、何故かやるせない気持ちになる。『貧すれば、鈍する』そんな言葉が浮かんできた。健康な青年が職に就けない。そんな世の中になってしまったのだろうか？戻ってきた液晶テレビをしみじみと眺めながら、なにやら複雑な気持ちになった。『犯人よ！　もう君に恨みはない。しっかりと更生の道を歩んでほしい。』今日のオレはやけにカッコイイではないか…。おわり</description>
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<category>ホテルストーリー</category>
<pubDate>Wed, 28 May 2008 16:22:25 +0900</pubDate>

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<title>香港漫遊記＝ラストはマカオ</title>
<description>香港漫遊記＝ラストはマカオマカオといえば何を連想するであろうか？まず何といってもカジノ。そしてお次は…？　なかなか浮かんでこない。それぐらいカジノの印象が強烈ではなかろうか。マカオツアーの出発時間はものすごく早い。朝７時過ぎにはホテルに迎えが来る。フェリーでわずか１時間足らずで着いてしまうのであるが、出入国に時間がかかってしまう事と、見所が意外に多い。それを一日で済まそうとすると、どうしてもこの時間の出発になってしまうのだ。我々ツアー一行は、出入国検査を経た後、９時過ぎにはマカオの地を踏みしめていた。しかし待てよ…。賢明な読者はお気づきだろう。香港は１９９７年にイギリスから、マカオは１９９９年にポルトガルからそれぞれ返還されて現在は同じ中国のはずではないか？何故パスポートや出入国検査が必要なのか？香港から地続きのシンセンや北京へ行くのも同様に検査があるとの事。〈地元の人でも〉コレが１国２制度というヤツか…。マカオは思い描いていたイメージとだいぶ違った。アジアのラスベガスなどと呼ばれているので、あのスケールのデカイラスベガス的スフィンクスやピラミッドの大ホテルやテーマパーク、大道芸、アトラクション、毒キノコ的色使いのネオンサインという物を想像していたのであるが、そのような気配がない（時間が早いせいか？）。ガイドさんの案内でバスを降りて石畳の古い町並みを歩く。１５００年代にいち早くヨーロッパ文化が根付いた所だけあって、町並みは小欧州。街の中に広場、城壁、要塞、教会、天主堂、などが残っていてその中で人々が暮らしている。ヨーロッパ以上にヨーロッパっぽいね！あ、そうそう、歴史教科書に登場するあのフランシスコ＝ザビエルもマカオで生涯の大半を過ごしたのだそうである。もちろんこのような街並みはマカオ全体のホンの一部であるが、それらの殆どが世界遺産に登録されていて、その数何と３０箇所！ハンパじゃない。アジアの一小都市でヨーロッパを彷彿させるというのも、なんだか奇妙な感じだ。ガイド氏いわく。『むしろマカオの面白さは、カジノよりも歴史よ！世界遺産よ！』聖ドミンゴ大聖堂跡ヨーロッパ風の街並み教会の中で本格的楽団が入って公開演奏をしていた。その後マカオタワー（338ｍ）に上ったが、最近はやりのどこにでもあるような代物なので特段珍しくもない。が、しか～し、恐ろしいアトラクションがある。ナント３００メートル超のタワーの外に出て、タワーの鉄骨の上を（命綱をつけてはいるが）ぐるぐる歩くというもの（しかも参加料を払って）。高所恐怖症の僕はタワーに登るだけでも躊躇するのに、窓の向こうを人が歩いているのを見るだけで胸が悪くなる。そして圧巻は、タワーのその鉄骨の上からバンジージャンプをするというもの（コレも参加料を払う）。これなぞほとんど宇宙人のなせるワザ。１億円あげると言われても絶対にやらない！このアトラクション、毎日のように多数の参加者がいる。世界は広い。身の毛もよだつ！　宇宙人たち。タワーから望むマカオ市街。さて問題のカジノである。マカオのカジノの売上は、去年ついにラスベガスのそれを越えたという。という事は、世界一！ラスベガスは今や街全体がテーマーパーク化し、ありとあらゆる方法で観光客を惹きつけていてカジノ目的だけの客は１０パーセント程度だという。街全体の総収入はラスベガスに及ばないにしても、カジノ単体の売上だけでラスベガスを抜くということは並大抵のことではない。娘達がまだ未成年で、カジノ場には入場できず、僕もバクチにあまり興味がないので周辺を遠巻きに眺めるしかなかったのだが、しかしながら、昼間だったせいかカジノの活気があまり感じられない。きっと建物の中では、熱き戦いが繰り広げられているに違いない。マカオという街はたった一日だけの滞在では、少し物足りないかもしれない。もっと見所はあるような気がするが、それは次回への楽しみに取って置く事にしよう。そして、あっという間に夕方近くになりマカオを後にした。香港へ戻り、夕食は潮州料理の店で堪能し、香港名物《香港ハーバーのイルミネーション》を鑑賞する。湾岸から、海上で音楽に合わせて舞う幻想的な光のダンスとでも言おうか、とにかくスケールがでかく感動的だ。コレは詳しく書かない。　見るべし!光のイルミネーション。上手く撮れていない。まあよいではないか。こうやって我が宮城家の旅も終わりを迎えようとしている。歴史に翻弄されながらも、強くたくましく生きてきた香港・マカオの人々。このエネルギー溢れる街は、いまだ留まるところを知らず変化をし続ける。この地で家族とともに過ごせた３日間は決して忘れることはないだろう。もう明日は沖縄へ帰る日だ。朝ホテルから空港へ直行である。再見香港。謝謝香港。我想再来！終わり</description>
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<category>漫遊記</category>
<pubDate>Tue, 13 May 2008 17:29:59 +0900</pubDate>

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<item>
<title>香港漫遊記＝香港２日目　Vol.2</title>
<description>香港2日目　　Vol.2いつもながらご無沙汰をしております。香港漫遊記再開します。まずは、香港2日目Vol.1をお読み下さい。（私でさえ何を書いたか忘れていた）さて前回は、昼の観光が終わり夜の第２部へ向かうと言う所で終わった。わが一家は、オプショナルツアーの待ち合わせ場所で無事にピックアップしてもらい、今夜の予定である『レイユームーンの夕食とオープントップバス＆女人街』へと出発した。まずはレイユームーンで食事から始めるとの事。レイユームーンと言うのは『鯉魚門』と書き、いわゆる漁村。そこに魚市場があり。そして新鮮な魚介類を食べさせてくれる食い物屋が立ち並ぶ。魚市場で買った魚介類を近くの屋台やレストランに持ち込むとお好みで調理してくれるというのだが、そのあたりのシステムは那覇の公設市場のそれとよく似ている。まだ生きたままの魚介類が店頭に立ち並び、生簀ではさまざまな美味そうな海鮮が、食われるのを今か今かと待っている。なぜか入り口に鳥居みたいな物ががあり、『鯉魚門』と書いてあった。こんな感じで、生鮮魚介類が並んでいる。強烈なにおいの立ち込める小汚い（失礼）市場の中をしばらく歩き、この中では割ときれいな、生簀のあるレストランに案内され食事が始まった。カニ・エビ・あわびと食材は豪華であるが、うーん…。グルメ？を自称する僕の胃袋に感動を与えるには至らない。不味くはないんだけどね…。食材は新鮮なのだろうけど、カニは小ぶりで中身が少なく、ホジる難儀さと収穫量があわないし、エビは5センチ位の小さいヤツで、炒め物の中に入っているであろうあわびは見つけるのが困難なほど少量だ。カニの炒め物まあ、期待感が大き過ぎた事と連日の美食攻撃のおかげで少々の事では感動しなくなったのであろうな。と自分を納得させ次の行程へと移動する。さて、お次の行程は香港名物〈２階建てオープントップバス〉を貸切ってネオンきらめく猥雑な夜の香港の街をドライブするというもの。この日は同乗者が少なく2階最前列特等席に乗り込みスタート！バスは疾走する！　香港の街中を。２階から見下ろすと街の雰囲気はずいぶん違う。トンネルのように林立するネオン看板の下を、バスがくぐり抜けていく感じだ。香港の看板は、横に対する規則はゆるいが、縦に対しては2階建てバスの高さを基準にしているとガイドが説明していた。地面を歩いていると生暖かい風も、高い位置にいると心なしかほほにさわやか心地よい。看板の下をくぐり抜ける感じで・・・。しばらくのドライブの後、女人街という香港でもっとも有名な商店街にバスを止め、散策する事になる。とんでもない所である。屋台が所狭しと立ち並び、まさに“足の踏み場もない”とはこの事。人口密度？が、一平方メートル当たり3人という感じか！ちょうど全島エイサー祭りの時の、ピーク時の球場前の混雑を想像すればよろしい。香港のマチヤグァー（商店街）の様子は、VOL.1で書いているので割愛する。要するに〈女人街〉は香港のマチヤグァーの最強版なのだ。疲れたが、とても楽しく充実した一日を過ごし家路（ホテル路）に着く。さあ、明日はいよいよ初体験マカオ観光だ！　早起きせねば。まだ見ぬマカオに思いをはせながら、アルコールなしで深い眠りに着く僕であった。つづく</description>
<link>http://deigohotel.koza.in/e2115849.html</link>
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<category>漫遊記</category>
<pubDate>Fri, 09 May 2008 17:26:30 +0900</pubDate>

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<title>緊急報告!!　ついにポリープ摘出術　</title>
<description>緊急報告!!　ついに大腸ポリープ切除。香港漫遊記シリーズの途中ですが、ここで緊急報告を行います。かねてよりの懸案事項であった、わが大腸に巣喰い牢名主の如く君臨し大腸に出血をもたらし続けたにっくきポリープ氏の摘出手術を、去った４月の２５日に北谷国体道路在玉城クリニックにて敢行した。以下ドキュメントにて記す。赤字はオレの心の声8：30　玉城クリニック到着。受付をする。言いつけ通りに昨夜８時以降飲食物は一切摂取せずに登院。９：00看護師より口頭にての問診の後。診察室とは別に奥のくつろぎルーム（勝手に名付けたがソファーが備え付けられ、テレビ雑誌などが閲覧できるゆったりとした空間。点滴を打つ患者さん専用ルームではなかろうか？）に案内される。その後下剤を経口投与。（カラの大腸をさらに洗浄するため、下剤入りポカリスエット風味の水溶液2Lを２時間で喫飲するよう強要される。心なしか看護師さんが不敵の笑みを浮かべたように見えた。錯覚か？）（ビールなら楽勝だが、ポカリ味の2L、2時間飲みはちとキツイ。コレもわが身のため。たっぽんたっぽん言っている腹に無理やり何とか2時間で詰め込む。）（しかし周りの人はどう思ったろうな？　スナック等で使うような水差しの中にこの下剤が入っていて、飲み易いようにとの配慮からアイスベールに氷まで準備されており、コレを普通のグラスでテレビを見ながら薄ら笑いを浮かべたオッサンが飲んでいるのだぞ。まるでどこぞのバーで飲んでくだ巻くひねくれたオッサンそのものじゃないか！）12：30途中、当然のことながら何度も便意を催し排便に至るも、便色が透明になるまで手術は出来ないとの事。その時期が来たら速やかに申し出て、看護師が便色の検査をする旨の通達を受ける。4回目の排便時に試験を受けるも不合格。5回目でやっと合格。（よくもまあ喰わずとも残存物が腸にはこんなに残っているものだなあ。と関心しきりである？人に便を見せるというのはあまり気分の良い物ではないが、とりあえず合格して手術が受けられる事になったので、ハニカミうれしい。）13：30玉城医師の説明（インフォームドコンセントというやつだな）の後投薬。（腸の働きを無力化する）手術に備える。13：45肛門よりカメラ挿入。電気メスとともに大腸内を患部方向まで確実に進んでゆく。玉城医師の説明を受けながら、その様子はモニターで確認できる。痛みはほとんどない。（オレの大腸内はピンクがかっていて健康的である。なかなか美しいではないか。しかし、痛みはないがカメラが奥に挿入される度にムズムズと奇妙な感覚に襲われるのは、もしかして…）問題のポリープに辿り着く。８ｍｍ大の突起物が腸壁に融着しているのが確認され、電気メスにて焼き切る。少量の出血が認められるもクリップにて切除箇所を縫合し手術を終える。手術は問題なく成功である。（なめこの風船みたいなのが腸壁に不様に垂れ下がっている。その根元にエイッとばかりに首輪様の電気メスを巻きつけバチッと焼ききる。痛みはまったくないが、視覚的には快感である。その後患部をホッチキスみたいなヤツで3箇所丁寧に塞いだ。心配になったがいずれ便と一緒に排出されるとの事。）14：00医療用寝台に横たわり点滴にて薬剤投与。休憩しながら経過を観察。（術後なぜかすごく気持ちよく、点滴中に爆睡してしまった。イビキが気になったが周りにどのような迷惑をかけたかは不明。後の祭り。もしかして睡眠導入剤が入っていたのかもしれない。精神的な安堵感からか目覚めてもすごく快適であった。）15：40玉城医師より　“ポリープは完全に除去された。良性か悪性かは検査後に通知するが、いずれにしても他に同様のポリープは確認できない為しばらくは安心である。”　旨と今後の注意点等の説明を受け、退院。すがすがしき気分で家路につく。（8ｍｍ位のおぞましい球形の肉塊を見せられた。一週間位は激しい運動や旅行、刺激物の摂取及び飲酒は控えめにとの事。激しい運動はやらない自身があるが、飲酒は…。しかし今日まで我慢している。）2008年4月28日　13：15　現在その後、普通の生活をし何事も起こらずに現在に至っている。便色も良好。何よりも、体のどこかにポリープを持つという罪悪感めいた感覚がオリモノのように沈殿していたが、コレもまた払拭され、洗い立ての真っ白な木綿のシャツのような気分である。（詩的だ…！）大腸に以上あり。要検査！　の診断を下された方は是非カメラ検査を受けることをお勧めする。まったく痛みを感じずに検査をしながらポリープを切っていくのだから一石二鳥である。そして当日に自力で歩いて帰れるのだ。（あくまで健康な人のことだが）しいて言えば、前日の空腹感と当日のポカリ風下剤一気飲みがちときついが、手術という言葉におびえる事はない。切除したポリープを見せてもらった。ちっちゃな梅干のような肉塊である。写真に撮ったので、皆様にお見せしようと思ったが、ヒンシュクを買いそうなのでヤメにする。是非にという物好きは個人的に連絡を。終わり次回より香港漫遊記に戻ります。</description>
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<category>わたくしごと</category>
<pubDate>Mon, 28 Apr 2008 14:17:24 +0900</pubDate>

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<title>香港漫遊記＝香港２日目　Vol.1</title>
<description>香港２日目　vol. 1香港の朝は早い！今日は出発前に申し込んでいたHISのオプショナルツアーで市内名所観光だ。市内レストランで朝粥の朝食からツアーのスタートである。ガイド氏によると香港人は１日5回食べるといわれている。朝・昼・中・夕・夜したがって朝は軽く粥で始まるのだという。この日はあわびと鶏肉の入った粥に点心が数種類。お粥そのものには味がついておらず、具の鶏肉と干しあわびにしっかりと塩味がつけてある。前夜のメタボ食いの腹にはあっさりとしていて丁度良い。粥を口に放り込み咀嚼していると具の旨みと塩味が浸みだしてきて、口中で見事なコラボレーションを奏でる。香港人（中国人）は芸が細かいね～。ウーロン茶と粥と軽めの点心で済ます朝食は疲れた胃にはすごくやさしい。心なしか健康になった気分だ。香港の観光といっても、香港島（大陸側）と九龍側があるが何本かの海中道路とフェリーで行き来でき、名所めぐりはほぼ１日で終わってしまう。（詳しくは割愛します）最近ディズニーランドが出来たのだが、東京のそれよりもしょぼいらしいのでいまいち不評のようだ。香港名物２階建てオープントップバス。普通のイギリス型２階建てバスもある。疾走するオープントップバス。あめがふったら？　暑い日は？　などと現実的なことばかり考えてしまった。ビクトリアピークから望む香港の市内。香港はこのようにいつも霞がかっている。ビルの下に雲がたなびく、という光景も珍しくはない。したがって雨も多い街だ。香港のオフィス街。中国系の人は信心深い。香港もご他聞にもれずあちらこちらにお寺サンがある。飲茶を頂く。１９９７年の返還調印式の後両国のお偉いさんが晩餐会を開いたレストラン。うわさの香港スイーツ。マンゴープリン。家族全員絶賛超美味。イギリスとの施政権返還の調印式後、両国の首脳の会食（晩餐会）の会場となったというレストランで飲茶の昼食をとり終えると、（それなりに美味かった！）ほぼ今日の観光は終了。お決まりの免税店での解散となったのが３時過ぎ。我が家は５時から別のツアーを予約していたのでまだたっぷり時間がある。免税店には興味がないのでしつこく付きまとう売り子さんを振りきり外へ出た。香港で楽しいのはやはり街歩き。買い物好きには別の意味でショッピングの醍醐味を味わえる。中心街の表通りは世界のブランド品を販売する高級店が立ち並び、世界のセレブ達？がしたり顔で品定めをしているが、その数日本人が圧倒低に多し。日本人はブランドに弱し！１歩裏道へはいると小汚い（失礼！）マチヤグァーが所狭しと軒を連ね、わけのわからぬ怪しいアクセサリーや服や偽ブランド商品を売っている。僕はこっちの方が性に合っていて、『お客さんニセモノあるよ！　ローレックスもヴィトンもグッチも何でもあるよ！』と来る。『あんたのは高い！　あっちはもっと安いよ』と切り返すと『あっちのは、C級ニセモノ。ココはA級ニセモノ！！少し高いは、当たり前ネ！』最近は偽ブランドにはランクがあって、A級品は素人目には本物と殆ど区別がつかないのだという。もっとも僕の目には本物もニセモノもまるで区別がつかない。本物がどういうものかさえ知らないのだから当たり前か…。そんなこんなで売り子との真剣勝負でこの値段だ！いやダメだ！電卓で会話し『オキャクサンニハマケタヨ～。ワタシ、モウケナイヨ！』とひとまず妥協させ、勝利の満足感で商品を手に入れるが、うちへ帰って改めて冷静に商品を眺めていると、使い物にならないガラクタばかりなのに気づくが、トキすでに遅し。ヤツらの方が数段上なのであった。とまあ街をひやかし歩くうちに、約束の５時が近づいてきた。現地でオプションで申し込んだナイトツアーの集合場所へ行かねばならぬ。『レイユームーンの夕食とオープントップバス＆女人街』という怪しげなツアー。　いざゆかん！つづく</description>
<link>http://deigohotel.koza.in/e2088607.html</link>
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<category>漫遊記</category>
<pubDate>Sun, 27 Apr 2008 12:38:24 +0900</pubDate>

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<title>香港漫遊記＝香港初日</title>
<description>前回よりの続きさて香港であった。行く先を香港へと定めた我が宮城家は、4月3日午後５時発の那覇⇔香港就航便に乗り込む。さすが直行便。飛行時間わずか2時間半。飛行機は小型だが、されど国際線。スッチーはアジア人で日本語はあまり上手ではない。イイノダ、イイノダ、それでこそ国際線。期待してなかったが、食事と食前酒が出た。ビールとワインをがぶ飲みしながらラムステーキを頂く。機内食というと大抵マズいのであるがコレがまた美味であった。僕の頭はすでに休日弛緩ムード。いいねえ国際線。ほとんど衝動的行き当たりばっ旅なので、計画はほとんど立てていない。イイノダ、イイノダ、何とかなるさ！　なんと言っても香港は食だな、食いモンだな。広東料理に潮州料理、今日の夕飯はどうすべえか？　イヤイヤ待てよ～、北京ダックも捨てがたい、鍋料理もうまいと聞く。まだ胃の中に滞留しておるであろうラム君の存在を忘れて、よだれを垂らしながら夢想していると、あっという間に香港国際空港へ到着だ。香港時間で午後７時。時差１時間。（遅れ）香港での宿泊先はホテルハーバープラザ。（追加金を払って少しグレードを上げた）香港最大の繁華街であるチムサアチョイから車で５分ほどの所で、ホテルからチムサアチョイまで無料リムジンバスが２０分おきに出ているのでとても便利である。入国検査やら荷物チェックやらで思いのほか時間を喰ってしまい。おまけにパックツアーなので全員集合するまで、ホテルまでの送迎バスが発車しない。ホテルに着いたのはなんと９時を過ぎていた。夜型生活者の宮城家。ココで明日に備えてゆっくり休もうとは思わない。ちょうど小腹もすいてきた。香港はうってつけの夜型社会。ホテルリムジンでチムサアチョイの繁華街へGO！なんとまあ、木曜日の10時前にもかかわらず人の多いこと多いこと…。僕は返還前の香港に行ったことがあるが、久しぶりの香港もあいも変わらず街なかの雑踏と毒々しげな看板のまるで展示会。いいんだなコレが！デパートとマチヤグワーとブランド高級店と屋台とレストランと様々な店が混在し、怪しげな呼び込みニーチャンとこれまた怪しげなポン引き風オババとチラシ配りが声をかけてくる。しかし不思議と危険を感じない。これぞ香港！　わがコザとの共通点有也。さて、夜遊びくいんしん坊一家は街中の色々な展示品に目を奪われつつも、時速0.5Kｍの超低速で町を散策。ある一軒の店にたどり着く。『有骨気火鍋餐店』この店を選んだ理由。つたない英語が何とか通じた事と、平日にもかかわらずお客さんが入っており殆どが地元の庶民と学生風。値段が高い筈がない。あと日本語のメニューが準備されていた事と長年の経験によるカンですよカン！要するに、鍋物の専門店である。アチラでは火鍋といい日本とほぼ同じスタイルで食すが、ただ違うのは日本みたいに海鮮とか肉とか分けるのではなく、とにかく何でもぶち込んでしまう。牛肉も豚肉も白身魚もイカもチキンも点心も葉野菜も根菜もとうもろこしもうどんもみ～んなぶち込んで、ワッシワッシとひたすら喰う。なぜかスープだけはとんこつだのマカオ風だのトムヤムクン風だの色々選べる。少々気持ち悪そうだが、特性のタレにつけて食うとコレが奇妙なウマさなのだ！チャンプルー鍋メタボ喰い（食べ放題でした）ビール3本で家族4人で7000円位であった。さあ明日は6時おきだぞ！　満足した気分で、どんよりと生暖かい風をほほに受けながら帰途についたのはすでに12時を過ぎていた…。つづく</description>
<link>http://deigohotel.koza.in/e2083304.html</link>
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<category>漫遊記</category>
<pubDate>Wed, 23 Apr 2008 15:53:17 +0900</pubDate>

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