2006年08月30日
牛肉物語
前回は山城牛のうまさに衝撃を受けた為、コーフンして訳のわからぬ事をだらだらと書いてしまった。
久々に肉というものを考えさせられた次第である。
というのも、我々の少年時代から青年前期(1960年~1980年頃)頃のコザンチュの己の脳に
“ウマイもの”“高級食”“接待”“たまの贅沢”と検索をかけてみると
99%の人が《ステーキ》と答え、圧倒的1位の座に輝くはずである。
‘60年代。コザの老舗ニューヨークレストランではベトナム景気も手伝い、
ペイデイ(給料日)には1日数百枚ものステーキが売れたという。
ウチーナーンチュはよだれを垂らしながらその光景を横目で眺め、国力の差を改めて感じ、
よくもこんな国にケンカ売ったもんだと呆れつつ
「オレもいつかは・・・・」
と心に誓い。モーレツに働く。
そして’70年代に入るとその景気の恩恵をコザンチュも少しだけ与れるようになり、
特別な日にはステーキを堪能できる。
「世の中にこんなウマイものがあったのだ!生きててよかった!」
と山城牛の時の僕みたいに興奮し、不覚にもその感覚が大脳に刻まれる。
やがて年をとり、日頃の不摂生の蓄積で内臓が疲弊しステーキを食うと胃がもたれたりする。
そして医者に
「肉はだめよ」
と宣言され愕然とするが、あの貧困から這い出た若き日に大脳に刻まれたステーキの味が、
時々悪魔のささやきの如く五感を刺激し、現実と記憶の狭間でもがき苦しむのだ。
話を戻そう。
‘80年代に入ると大量にヤマト文化がここコザにも流入し街並も生活も食も変化を遂げていく。
コザの街が大きく変わっていくのはこのあたりからだ。
その頃になるとステーキ至上主義もいつの間にか後退し、替わって和食などヤマト料理が持てはやされる様になる。
あとで誤解のないようにここでお断り申し上げるが、この記述は歴史的考察や文献に基づくものではなく、あくまで極私的体験によるものである。
話を続けよう。
当然のことながら私自身も例外ではない。
特に40代に入ると積極的にステーキ系を食べたいとは思わなくなってきた。
それは何故か?料理学的な根拠はわからないが、おそらく肉の持つボリューム感や
過剰な栄養が、衰えつつある内蔵に及ぼす影響と密接な関係にあることは想像に難くない。
しかしながら山城牛の様な良質のものに出会うと、忘れかけた記憶がよみがえる。
ステーキがどうしようもなく食べたくなり、安物和牛を仕入れ家で女房に焼いてもらい食べた。
味は? ご想像にお任せする。 明日パレット久茂地へ行くことにする。
完
追記 私の記憶の中に生き続けるB級食品
ポークランチョンミート
今や県民いや国民食。定番ですね。
ストゥ(缶詰)
シチューなのだがシチューと呼んではいけない。あくまで「ストゥ」と呼ぶ。色々応用が利く。
そのままでよし、野菜を入れてもよし。だし汁とご飯を加え雑炊にする人もいる。
万能食だ。貧困学生時代はご馳走であった。
コンビーフハッシュ
これも定番万能食。キャンプに持っていくと野菜炒め等に活用でき、ポークランチョンミート・ストゥと並ぶ携帯食の王様だ。
ポークビーンズ(缶詰)
大豆とポークのケチャップ煮。味はノーコメント。
先日スーパーで見かけ急にノスタルジアを感じ、衝動買いを敢行。
家に持ち帰り味見するが二口で食欲がなくなった。
日清のカップヌードル
あのなんともいえない化学調味料系イノシン酸及びグルタミン酸の味が忘れられない。
なぜか浅間山荘事件を思い出す。
久々に肉というものを考えさせられた次第である。
というのも、我々の少年時代から青年前期(1960年~1980年頃)頃のコザンチュの己の脳に
“ウマイもの”“高級食”“接待”“たまの贅沢”と検索をかけてみると
99%の人が《ステーキ》と答え、圧倒的1位の座に輝くはずである。
‘60年代。コザの老舗ニューヨークレストランではベトナム景気も手伝い、
ペイデイ(給料日)には1日数百枚ものステーキが売れたという。
ウチーナーンチュはよだれを垂らしながらその光景を横目で眺め、国力の差を改めて感じ、
よくもこんな国にケンカ売ったもんだと呆れつつ
「オレもいつかは・・・・」
と心に誓い。モーレツに働く。
そして’70年代に入るとその景気の恩恵をコザンチュも少しだけ与れるようになり、
特別な日にはステーキを堪能できる。
「世の中にこんなウマイものがあったのだ!生きててよかった!」
と山城牛の時の僕みたいに興奮し、不覚にもその感覚が大脳に刻まれる。
やがて年をとり、日頃の不摂生の蓄積で内臓が疲弊しステーキを食うと胃がもたれたりする。
そして医者に
「肉はだめよ」
と宣言され愕然とするが、あの貧困から這い出た若き日に大脳に刻まれたステーキの味が、
時々悪魔のささやきの如く五感を刺激し、現実と記憶の狭間でもがき苦しむのだ。
話を戻そう。
‘80年代に入ると大量にヤマト文化がここコザにも流入し街並も生活も食も変化を遂げていく。
コザの街が大きく変わっていくのはこのあたりからだ。
その頃になるとステーキ至上主義もいつの間にか後退し、替わって和食などヤマト料理が持てはやされる様になる。
あとで誤解のないようにここでお断り申し上げるが、この記述は歴史的考察や文献に基づくものではなく、あくまで極私的体験によるものである。
話を続けよう。
当然のことながら私自身も例外ではない。
特に40代に入ると積極的にステーキ系を食べたいとは思わなくなってきた。
それは何故か?料理学的な根拠はわからないが、おそらく肉の持つボリューム感や
過剰な栄養が、衰えつつある内蔵に及ぼす影響と密接な関係にあることは想像に難くない。
しかしながら山城牛の様な良質のものに出会うと、忘れかけた記憶がよみがえる。
ステーキがどうしようもなく食べたくなり、安物和牛を仕入れ家で女房に焼いてもらい食べた。
味は? ご想像にお任せする。 明日パレット久茂地へ行くことにする。
完
追記 私の記憶の中に生き続けるB級食品
ポークランチョンミート
今や県民いや国民食。定番ですね。
ストゥ(缶詰)
シチューなのだがシチューと呼んではいけない。あくまで「ストゥ」と呼ぶ。色々応用が利く。
そのままでよし、野菜を入れてもよし。だし汁とご飯を加え雑炊にする人もいる。
万能食だ。貧困学生時代はご馳走であった。
コンビーフハッシュ
これも定番万能食。キャンプに持っていくと野菜炒め等に活用でき、ポークランチョンミート・ストゥと並ぶ携帯食の王様だ。
ポークビーンズ(缶詰)
大豆とポークのケチャップ煮。味はノーコメント。
先日スーパーで見かけ急にノスタルジアを感じ、衝動買いを敢行。
家に持ち帰り味見するが二口で食欲がなくなった。
日清のカップヌードル
あのなんともいえない化学調味料系イノシン酸及びグルタミン酸の味が忘れられない。
なぜか浅間山荘事件を思い出す。
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哀愁のB級ホテルブログを発信しておられるコザのデイゴホテル、なんもせんむさんの記...
ステーキ今昔【沖縄情報ハイサイ満載通信ブログ【ゆくログ】】at 2006年08月30日 13:26
この記事へのコメント
はじめまして。いつも楽しく読ませていただいています。
山城牛は普天間のりうぼう(三叉路近くのサンフティーマ)でも扱っています。
店頭にステーキ用がないばあい、肉部門の人に声をかけてみてください。
ストックがあれば切ってくれます。
山城牛は普天間のりうぼう(三叉路近くのサンフティーマ)でも扱っています。
店頭にステーキ用がないばあい、肉部門の人に声をかけてみてください。
ストックがあれば切ってくれます。
Posted by セバ at 2006年08月30日 14:05
セバさん貴重な情報ありがとうございます。
実は今日パレットくもじへ行ってまいりました。
もちろん仕入れてきましたよ。山城牛。
情報一歩遅し!とは思っていません。
どうせ別件あったし、なによりも久々の那覇。
改めてパレット近辺の交通事情(駐車場も含め)を認識し
「二度と行かぬぞ」
などと毒づいていた矢先でしたのでコザンチュには、この情報貴重です。
さて今日仕入れた待望の「山城牛」。又の機会に書こうと思います。
実は今日パレットくもじへ行ってまいりました。
もちろん仕入れてきましたよ。山城牛。
情報一歩遅し!とは思っていません。
どうせ別件あったし、なによりも久々の那覇。
改めてパレット近辺の交通事情(駐車場も含め)を認識し
「二度と行かぬぞ」
などと毒づいていた矢先でしたのでコザンチュには、この情報貴重です。
さて今日仕入れた待望の「山城牛」。又の機会に書こうと思います。
Posted by なんもせんむ at 2006年08月31日 01:08
