2008年10月26日
葛飾柴又帝釈天
前回、街の“らしさ”について書いたが、それを最も力強く表現する街。葛飾柴又。
出張?のついでに行って来た。
あの有名な『フーテンの寅さん』発祥の地である。

駅を出るといきなり寅さんの銅像。記念撮影のメッカだそうだ。

そして道向こうにすぐに商店街の入り口がある。

約2百メートルほどの長さか? 商店街の規模としては小ぶりだが、この日の人通りはまあまだ。
平日だからか年配のお客さん(観光客)が多い。車椅子もごく自然に往来を闊歩する。
よく見ると葛飾区のボランティアNPOの身分証を胸に下げた人たちが案内をしていた。

こんな駄菓子屋昔よく見かけたよね。
昭和レトロですね~。
ノスタルジ~ですね~。

このような露天型店舗が数多く並んでいる。ほとんどの店が販売品目を絞って勝負をかけている。
いわゆる専門店街なのだ。
この店で製造販売しているセキトメ、ニッキ、ハッカ、ミルク、の各種の飴をバラマキ系土産として大量に購入。
ゆうパックにて郵送してもらう。大変評判がよかった。(特に年配の方々に・・・)

本当に寅さんの実家のお店のごとく、目の前で煎餅を焼いている。
お客さんの目があるから常に真剣勝負なのだそうだ。
この商店街の大半が製造販売業であり、露店であり、家内制手工業なのだ。
コザとは趣が違うが、この街を歩いていると何かしらの安堵感と落ち着きを感じる。
街のヒトたちは自然に呼吸し会話し生活しているという実感を感じる。
もちろん観光客も多いが、違和感を感じることなく街に融合している。

帝釈天がこの商店街の終点で、つまり駅を降りて帝釈天に向かうのには必然的に商店街の中を通ってゆく。
まっことうまく出来ている。
そして帝釈天から進行方向にさらに進むと、そこには、大きなナントカガワ(名前を忘れた。ゴメンナサイ!)がゆったりと流れ、河川敷には何面もの草野球場があり緑豊かな光景に出くわす。
向こう岸は千葉県なのだそうだ。そしてここがあの(誰かが歌ってヒットした)有名な《矢切の渡し》のその場所であった。
緑の平野を蛇行して流れる雄大なナントカガワや、草野球に興じる子供たちの嬌声をBGMに、土手の上から辺りを眺めながらひとりたたずんでいると、秋の風に優しくほほをなでられた僕の心はやさしさと言いようのない安堵感で満たされた。(詩的だ)
ここは本当に東京か? 僕の体内GPS に狂いが生じつつあるのを認識しながら帰りの駅へと向かう。
“葛飾柴又” 又来てみたい街のひとつだ。
出張?のついでに行って来た。
あの有名な『フーテンの寅さん』発祥の地である。
駅を出るといきなり寅さんの銅像。記念撮影のメッカだそうだ。
そして道向こうにすぐに商店街の入り口がある。
約2百メートルほどの長さか? 商店街の規模としては小ぶりだが、この日の人通りはまあまだ。
平日だからか年配のお客さん(観光客)が多い。車椅子もごく自然に往来を闊歩する。
よく見ると葛飾区のボランティアNPOの身分証を胸に下げた人たちが案内をしていた。
こんな駄菓子屋昔よく見かけたよね。
昭和レトロですね~。
ノスタルジ~ですね~。
このような露天型店舗が数多く並んでいる。ほとんどの店が販売品目を絞って勝負をかけている。
いわゆる専門店街なのだ。
この店で製造販売しているセキトメ、ニッキ、ハッカ、ミルク、の各種の飴をバラマキ系土産として大量に購入。
ゆうパックにて郵送してもらう。大変評判がよかった。(特に年配の方々に・・・)
本当に寅さんの実家のお店のごとく、目の前で煎餅を焼いている。
お客さんの目があるから常に真剣勝負なのだそうだ。
この商店街の大半が製造販売業であり、露店であり、家内制手工業なのだ。
コザとは趣が違うが、この街を歩いていると何かしらの安堵感と落ち着きを感じる。
街のヒトたちは自然に呼吸し会話し生活しているという実感を感じる。
もちろん観光客も多いが、違和感を感じることなく街に融合している。
帝釈天がこの商店街の終点で、つまり駅を降りて帝釈天に向かうのには必然的に商店街の中を通ってゆく。
まっことうまく出来ている。
そして帝釈天から進行方向にさらに進むと、そこには、大きなナントカガワ(名前を忘れた。ゴメンナサイ!)がゆったりと流れ、河川敷には何面もの草野球場があり緑豊かな光景に出くわす。
向こう岸は千葉県なのだそうだ。そしてここがあの(誰かが歌ってヒットした)有名な《矢切の渡し》のその場所であった。
緑の平野を蛇行して流れる雄大なナントカガワや、草野球に興じる子供たちの嬌声をBGMに、土手の上から辺りを眺めながらひとりたたずんでいると、秋の風に優しくほほをなでられた僕の心はやさしさと言いようのない安堵感で満たされた。(詩的だ)
ここは本当に東京か? 僕の体内GPS に狂いが生じつつあるのを認識しながら帰りの駅へと向かう。
“葛飾柴又” 又来てみたい街のひとつだ。
2008年08月18日
くらしきを訪ねて
《倉敷》と書くと我々はどうもダムや廃棄物処理場を思い浮かべてしまう。(実際沖縄市にそんな場所がある)
そうではない。岡山県倉敷市のことだ。
漫遊国のメンバーと共に、あるイベントの事で行って来た。拡大解釈すれば仕事なのだ。
僕は倉敷の事はかつて紡績で栄えた町だとか、巨大水島コンビナートの所在地である事だとか、確かいつだったか開通した瀬戸大橋の本州側だったかな? 程度の事しか知らなかった。僕にとっては処女地なのである。

江戸時代この地は天領であり(幕府の直轄地)、地方藩の影響を受ける事無く豊かな自然を背景に物流の中継地として栄え、商人たちによって白壁の土蔵と屋敷が多数作られた。それが現在も『倉敷美観地区』として保存されており、その美しき街並みは全国から多くの観光客を呼び寄せる。
しかし倉敷での旅遊記は他のメンバーが書いているので、ここでは譲る。
僕が最も興味を惹かれたのは、倉敷駅前の商店街についてであった。
倉敷商工会議所の岡副会頭と倉敷文化振興財団の方々に案内してもらった。
大型店舗の台頭やライフスタイルの変化等々、ご他聞にもれず、これまで賑わっていた倉敷の商店街もじわじわと空き店舗が目立つようになっていったとの事。わが街同様全国何処の地方都市商店街でも、当たりまえによく耳にする話である。
しかしこの近年、駅前のえびす商店街あたりに少しずつ変化が見られるのだと言う。
シャッターが上がり始め、空き店舗率が減り、人々が再び街で買い物をするようになったと言う。
様々なイベントを展開し誘客につなげた事もあるが、家賃が下がり始め外部からの出店希望者が増えた事、さらに地元商店街の人たちも自分の本分である商売そのものを見直し、大規模店舗では真似の出来ない店作りを研究・実践して来た事が空き店舗率の低下に結びついたのではなかろうか。との事であった。
確かにここには思わず覗いて見たくなる様な魅力的な店が多い。
昔ながらの八百屋も肉屋も魚屋もある。昭和レトロの駄菓子屋にはラムネが冷やされていてその近くにブランド品専門のバッグ屋があったり、倉敷の街によく似合う白壁の骨董品屋や備前焼専門の店がある。
ある靴屋では4万円以上もする革靴が展示されていて、聞くと、これは見本でこの店は店で製作したオリジナルの靴しか販売しないとの事。そしてお客さんの足に合わせたオンリーワンシューズの専門店でもあるとの事。メーカーのシューズを仕入れて薄利多売の商売をするよりも、この方が商売として十分成り立つのだそうである。


『商店街には大規模店にないような色んな種類の色んな性格の店があって、それぞれがお客様のニーズに応えていってそれぞれが固定客を持っている。そういう魅力的な店が増えればおのずと客も戻ってくる。』
などとその夜の反省会(飲み会)で倉敷地ビールを飲みながらエラソーな事を赤ら顔のしたり顔で、ホザく僕がいた。
しかし…。 言うのは簡単だよな~。

観光ビューローが運営する観光案内所。休憩が出来て、コインロッカーがある。利用率は高いそうだ。
そうではない。岡山県倉敷市のことだ。
漫遊国のメンバーと共に、あるイベントの事で行って来た。拡大解釈すれば仕事なのだ。
僕は倉敷の事はかつて紡績で栄えた町だとか、巨大水島コンビナートの所在地である事だとか、確かいつだったか開通した瀬戸大橋の本州側だったかな? 程度の事しか知らなかった。僕にとっては処女地なのである。
江戸時代この地は天領であり(幕府の直轄地)、地方藩の影響を受ける事無く豊かな自然を背景に物流の中継地として栄え、商人たちによって白壁の土蔵と屋敷が多数作られた。それが現在も『倉敷美観地区』として保存されており、その美しき街並みは全国から多くの観光客を呼び寄せる。
しかし倉敷での旅遊記は他のメンバーが書いているので、ここでは譲る。
僕が最も興味を惹かれたのは、倉敷駅前の商店街についてであった。
倉敷商工会議所の岡副会頭と倉敷文化振興財団の方々に案内してもらった。
大型店舗の台頭やライフスタイルの変化等々、ご他聞にもれず、これまで賑わっていた倉敷の商店街もじわじわと空き店舗が目立つようになっていったとの事。わが街同様全国何処の地方都市商店街でも、当たりまえによく耳にする話である。
しかしこの近年、駅前のえびす商店街あたりに少しずつ変化が見られるのだと言う。
シャッターが上がり始め、空き店舗率が減り、人々が再び街で買い物をするようになったと言う。
様々なイベントを展開し誘客につなげた事もあるが、家賃が下がり始め外部からの出店希望者が増えた事、さらに地元商店街の人たちも自分の本分である商売そのものを見直し、大規模店舗では真似の出来ない店作りを研究・実践して来た事が空き店舗率の低下に結びついたのではなかろうか。との事であった。
確かにここには思わず覗いて見たくなる様な魅力的な店が多い。
昔ながらの八百屋も肉屋も魚屋もある。昭和レトロの駄菓子屋にはラムネが冷やされていてその近くにブランド品専門のバッグ屋があったり、倉敷の街によく似合う白壁の骨董品屋や備前焼専門の店がある。
ある靴屋では4万円以上もする革靴が展示されていて、聞くと、これは見本でこの店は店で製作したオリジナルの靴しか販売しないとの事。そしてお客さんの足に合わせたオンリーワンシューズの専門店でもあるとの事。メーカーのシューズを仕入れて薄利多売の商売をするよりも、この方が商売として十分成り立つのだそうである。
『商店街には大規模店にないような色んな種類の色んな性格の店があって、それぞれがお客様のニーズに応えていってそれぞれが固定客を持っている。そういう魅力的な店が増えればおのずと客も戻ってくる。』
などとその夜の反省会(飲み会)で倉敷地ビールを飲みながらエラソーな事を赤ら顔のしたり顔で、ホザく僕がいた。
しかし…。 言うのは簡単だよな~。
観光ビューローが運営する観光案内所。休憩が出来て、コインロッカーがある。利用率は高いそうだ。
タグ :倉敷
2008年05月13日
香港漫遊記=ラストはマカオ
香港漫遊記=ラストはマカオ
マカオといえば何を連想するであろうか?
まず何といってもカジノ。そしてお次は…?
なかなか浮かんでこない。それぐらいカジノの印象が強烈ではなかろうか。
マカオツアーの出発時間はものすごく早い。朝7時過ぎにはホテルに迎えが来る。
フェリーでわずか1時間足らずで着いてしまうのであるが、出入国に時間がかかってしまう事と、見所が意外に多い。
それを一日で済まそうとすると、どうしてもこの時間の出発になってしまうのだ。
我々ツアー一行は、出入国検査を経た後、9時過ぎにはマカオの地を踏みしめていた。
しかし待てよ…。賢明な読者はお気づきだろう。
香港は1997年にイギリスから、マカオは1999年にポルトガルからそれぞれ返還されて現在は同じ中国のはずではないか?
何故パスポートや出入国検査が必要なのか?
香港から地続きのシンセンや北京へ行くのも同様に検査があるとの事。〈地元の人でも〉
コレが1国2制度というヤツか…。
マカオは思い描いていたイメージとだいぶ違った。
アジアのラスベガスなどと呼ばれているので、あのスケールのデカイラスベガス的スフィンクスやピラミッドの大ホテルやテーマパーク、大道芸、アトラクション、毒キノコ的色使いのネオンサインという物を想像していたのであるが、そのような気配がない(時間が早いせいか?)。
ガイドさんの案内でバスを降りて石畳の古い町並みを歩く。
1500年代にいち早くヨーロッパ文化が根付いた所だけあって、町並みは小欧州。
街の中に広場、城壁、要塞、教会、天主堂、などが残っていてその中で人々が暮らしている。
ヨーロッパ以上にヨーロッパっぽいね!
あ、そうそう、歴史教科書に登場するあのフランシスコ=ザビエルもマカオで生涯の大半を過ごしたのだそうである。
もちろんこのような街並みはマカオ全体のホンの一部であるが、それらの殆どが世界遺産に登録されていて、その数何と30箇所!ハンパじゃない。
アジアの一小都市でヨーロッパを彷彿させるというのも、なんだか奇妙な感じだ。
ガイド氏いわく。
『むしろマカオの面白さは、カジノよりも歴史よ!世界遺産よ!』

聖ドミンゴ大聖堂跡

ヨーロッパ風の街並み

教会の中で本格的楽団が入って公開演奏をしていた。
その後マカオタワー(338m)に上ったが、最近はやりのどこにでもあるような代物なので特段珍しくもない。
が、しか~し、恐ろしいアトラクションがある。
ナント300メートル超のタワーの外に出て、タワーの鉄骨の上を(命綱をつけてはいるが)ぐるぐる歩くというもの(しかも参加料を払って)。
高所恐怖症の僕はタワーに登るだけでも躊躇するのに、窓の向こうを人が歩いているのを見るだけで胸が悪くなる。
そして圧巻は、タワーのその鉄骨の上からバンジージャンプをするというもの(コレも参加料を払う)。
これなぞほとんど宇宙人のなせるワザ。1億円あげると言われても絶対にやらない!
このアトラクション、毎日のように多数の参加者がいる。世界は広い。

身の毛もよだつ! 宇宙人たち。

タワーから望むマカオ市街。
さて問題のカジノである。
マカオのカジノの売上は、去年ついにラスベガスのそれを越えたという。
という事は、世界一!
ラスベガスは今や街全体がテーマーパーク化し、ありとあらゆる方法で観光客を惹きつけていてカジノ目的だけの客は10パーセント程度だという。
街全体の総収入はラスベガスに及ばないにしても、カジノ単体の売上だけでラスベガスを抜くということは並大抵のことではない。
娘達がまだ未成年で、カジノ場には入場できず、僕もバクチにあまり興味がないので周辺を遠巻きに眺めるしかなかったのだが、しかしながら、昼間だったせいかカジノの活気があまり感じられない。
きっと建物の中では、熱き戦いが繰り広げられているに違いない。
マカオという街はたった一日だけの滞在では、少し物足りないかもしれない。
もっと見所はあるような気がするが、それは次回への楽しみに取って置く事にしよう。
そして、あっという間に夕方近くになりマカオを後にした。
香港へ戻り、夕食は潮州料理の店で堪能し、香港名物《香港ハーバーのイルミネーション》を鑑賞する。湾岸から、海上で音楽に合わせて舞う幻想的な光のダンスとでも言おうか、とにかくスケールがでかく感動的だ。コレは詳しく書かない。 見るべし!

光のイルミネーション。上手く撮れていない。まあよいではないか。
こうやって我が宮城家の旅も終わりを迎えようとしている。
歴史に翻弄されながらも、強くたくましく生きてきた香港・マカオの人々。
このエネルギー溢れる街は、いまだ留まるところを知らず変化をし続ける。
この地で家族とともに過ごせた3日間は決して忘れることはないだろう。
もう明日は沖縄へ帰る日だ。
朝ホテルから空港へ直行である。
再見香港。謝謝香港。我想再来!
終わり
マカオといえば何を連想するであろうか?
まず何といってもカジノ。そしてお次は…?
なかなか浮かんでこない。それぐらいカジノの印象が強烈ではなかろうか。
マカオツアーの出発時間はものすごく早い。朝7時過ぎにはホテルに迎えが来る。
フェリーでわずか1時間足らずで着いてしまうのであるが、出入国に時間がかかってしまう事と、見所が意外に多い。
それを一日で済まそうとすると、どうしてもこの時間の出発になってしまうのだ。
我々ツアー一行は、出入国検査を経た後、9時過ぎにはマカオの地を踏みしめていた。
しかし待てよ…。賢明な読者はお気づきだろう。
香港は1997年にイギリスから、マカオは1999年にポルトガルからそれぞれ返還されて現在は同じ中国のはずではないか?
何故パスポートや出入国検査が必要なのか?
香港から地続きのシンセンや北京へ行くのも同様に検査があるとの事。〈地元の人でも〉
コレが1国2制度というヤツか…。
マカオは思い描いていたイメージとだいぶ違った。
アジアのラスベガスなどと呼ばれているので、あのスケールのデカイラスベガス的スフィンクスやピラミッドの大ホテルやテーマパーク、大道芸、アトラクション、毒キノコ的色使いのネオンサインという物を想像していたのであるが、そのような気配がない(時間が早いせいか?)。
ガイドさんの案内でバスを降りて石畳の古い町並みを歩く。
1500年代にいち早くヨーロッパ文化が根付いた所だけあって、町並みは小欧州。
街の中に広場、城壁、要塞、教会、天主堂、などが残っていてその中で人々が暮らしている。
ヨーロッパ以上にヨーロッパっぽいね!
あ、そうそう、歴史教科書に登場するあのフランシスコ=ザビエルもマカオで生涯の大半を過ごしたのだそうである。
もちろんこのような街並みはマカオ全体のホンの一部であるが、それらの殆どが世界遺産に登録されていて、その数何と30箇所!ハンパじゃない。
アジアの一小都市でヨーロッパを彷彿させるというのも、なんだか奇妙な感じだ。
ガイド氏いわく。
『むしろマカオの面白さは、カジノよりも歴史よ!世界遺産よ!』
聖ドミンゴ大聖堂跡
ヨーロッパ風の街並み
教会の中で本格的楽団が入って公開演奏をしていた。
その後マカオタワー(338m)に上ったが、最近はやりのどこにでもあるような代物なので特段珍しくもない。
が、しか~し、恐ろしいアトラクションがある。
ナント300メートル超のタワーの外に出て、タワーの鉄骨の上を(命綱をつけてはいるが)ぐるぐる歩くというもの(しかも参加料を払って)。
高所恐怖症の僕はタワーに登るだけでも躊躇するのに、窓の向こうを人が歩いているのを見るだけで胸が悪くなる。
そして圧巻は、タワーのその鉄骨の上からバンジージャンプをするというもの(コレも参加料を払う)。
これなぞほとんど宇宙人のなせるワザ。1億円あげると言われても絶対にやらない!
このアトラクション、毎日のように多数の参加者がいる。世界は広い。
身の毛もよだつ! 宇宙人たち。
タワーから望むマカオ市街。
さて問題のカジノである。
マカオのカジノの売上は、去年ついにラスベガスのそれを越えたという。
という事は、世界一!
ラスベガスは今や街全体がテーマーパーク化し、ありとあらゆる方法で観光客を惹きつけていてカジノ目的だけの客は10パーセント程度だという。
街全体の総収入はラスベガスに及ばないにしても、カジノ単体の売上だけでラスベガスを抜くということは並大抵のことではない。
娘達がまだ未成年で、カジノ場には入場できず、僕もバクチにあまり興味がないので周辺を遠巻きに眺めるしかなかったのだが、しかしながら、昼間だったせいかカジノの活気があまり感じられない。
きっと建物の中では、熱き戦いが繰り広げられているに違いない。
マカオという街はたった一日だけの滞在では、少し物足りないかもしれない。
もっと見所はあるような気がするが、それは次回への楽しみに取って置く事にしよう。
そして、あっという間に夕方近くになりマカオを後にした。
香港へ戻り、夕食は潮州料理の店で堪能し、香港名物《香港ハーバーのイルミネーション》を鑑賞する。湾岸から、海上で音楽に合わせて舞う幻想的な光のダンスとでも言おうか、とにかくスケールがでかく感動的だ。コレは詳しく書かない。 見るべし!
光のイルミネーション。上手く撮れていない。まあよいではないか。
こうやって我が宮城家の旅も終わりを迎えようとしている。
歴史に翻弄されながらも、強くたくましく生きてきた香港・マカオの人々。
このエネルギー溢れる街は、いまだ留まるところを知らず変化をし続ける。
この地で家族とともに過ごせた3日間は決して忘れることはないだろう。
もう明日は沖縄へ帰る日だ。
朝ホテルから空港へ直行である。
再見香港。謝謝香港。我想再来!
終わり
2008年05月09日
香港漫遊記=香港2日目 Vol.2
香港2日目 Vol.2
いつもながらご無沙汰をしております。香港漫遊記再開します。
まずは、香港2日目Vol.1をお読み下さい。(私でさえ何を書いたか忘れていた)
さて前回は、昼の観光が終わり夜の第2部へ向かうと言う所で終わった。
わが一家は、オプショナルツアーの待ち合わせ場所で無事にピックアップしてもらい、今夜の予定である『レイユームーンの夕食とオープントップバス&女人街』へと出発した。
まずはレイユームーンで食事から始めるとの事。
レイユームーンと言うのは『鯉魚門』と書き、いわゆる漁村。そこに魚市場があり。そして新鮮な魚介類を食べさせてくれる食い物屋が立ち並ぶ。
魚市場で買った魚介類を近くの屋台やレストランに持ち込むとお好みで調理してくれるというのだが、そのあたりのシステムは那覇の公設市場のそれとよく似ている。
まだ生きたままの魚介類が店頭に立ち並び、生簀ではさまざまな美味そうな海鮮が、食われるのを今か今かと待っている。

なぜか入り口に鳥居みたいな物ががあり、『鯉魚門』と書いてあった。

こんな感じで、生鮮魚介類が並んでいる。
強烈なにおいの立ち込める小汚い(失礼)市場の中をしばらく歩き、この中では割ときれいな、生簀のあるレストランに案内され食事が始まった。
カニ・エビ・あわびと食材は豪華であるが、うーん…。
グルメ?を自称する僕の胃袋に感動を与えるには至らない。不味くはないんだけどね…。
食材は新鮮なのだろうけど、カニは小ぶりで中身が少なく、ホジる難儀さと収穫量があわないし、エビは5センチ位の小さいヤツで、炒め物の中に入っているであろうあわびは見つけるのが困難なほど少量だ。

カニの炒め物
まあ、期待感が大き過ぎた事と連日の美食攻撃のおかげで少々の事では感動しなくなったのであろうな。と自分を納得させ次の行程へと移動する。
さて、お次の行程は香港名物〈2階建てオープントップバス〉を貸切ってネオンきらめく猥雑な夜の香港の街をドライブするというもの。
この日は同乗者が少なく2階最前列特等席に乗り込みスタート!
バスは疾走する! 香港の街中を。
2階から見下ろすと街の雰囲気はずいぶん違う。
トンネルのように林立するネオン看板の下を、バスがくぐり抜けていく感じだ。
香港の看板は、横に対する規則はゆるいが、縦に対しては2階建てバスの高さを基準にしているとガイドが説明していた。
地面を歩いていると生暖かい風も、高い位置にいると心なしかほほにさわやか心地よい。

看板の下をくぐり抜ける感じで・・・。
しばらくのドライブの後、女人街という香港でもっとも有名な商店街にバスを止め、散策する事になる。

とんでもない所である。
屋台が所狭しと立ち並び、まさに“足の踏み場もない”とはこの事。
人口密度?が、一平方メートル当たり3人という感じか!
ちょうど全島エイサー祭りの時の、ピーク時の球場前の混雑を想像すればよろしい。
香港のマチヤグァー(商店街)の様子は、VOL.1で書いているので割愛する。
要するに〈女人街〉は香港のマチヤグァーの最強版なのだ。
疲れたが、とても楽しく充実した一日を過ごし家路(ホテル路)に着く。
さあ、明日はいよいよ初体験マカオ観光だ! 早起きせねば。
まだ見ぬマカオに思いをはせながら、アルコールなしで深い眠りに着く僕であった。
つづく
いつもながらご無沙汰をしております。香港漫遊記再開します。
まずは、香港2日目Vol.1をお読み下さい。(私でさえ何を書いたか忘れていた)
さて前回は、昼の観光が終わり夜の第2部へ向かうと言う所で終わった。
わが一家は、オプショナルツアーの待ち合わせ場所で無事にピックアップしてもらい、今夜の予定である『レイユームーンの夕食とオープントップバス&女人街』へと出発した。
まずはレイユームーンで食事から始めるとの事。
レイユームーンと言うのは『鯉魚門』と書き、いわゆる漁村。そこに魚市場があり。そして新鮮な魚介類を食べさせてくれる食い物屋が立ち並ぶ。
魚市場で買った魚介類を近くの屋台やレストランに持ち込むとお好みで調理してくれるというのだが、そのあたりのシステムは那覇の公設市場のそれとよく似ている。
まだ生きたままの魚介類が店頭に立ち並び、生簀ではさまざまな美味そうな海鮮が、食われるのを今か今かと待っている。
なぜか入り口に鳥居みたいな物ががあり、『鯉魚門』と書いてあった。
こんな感じで、生鮮魚介類が並んでいる。
強烈なにおいの立ち込める小汚い(失礼)市場の中をしばらく歩き、この中では割ときれいな、生簀のあるレストランに案内され食事が始まった。
カニ・エビ・あわびと食材は豪華であるが、うーん…。
グルメ?を自称する僕の胃袋に感動を与えるには至らない。不味くはないんだけどね…。
食材は新鮮なのだろうけど、カニは小ぶりで中身が少なく、ホジる難儀さと収穫量があわないし、エビは5センチ位の小さいヤツで、炒め物の中に入っているであろうあわびは見つけるのが困難なほど少量だ。
カニの炒め物
まあ、期待感が大き過ぎた事と連日の美食攻撃のおかげで少々の事では感動しなくなったのであろうな。と自分を納得させ次の行程へと移動する。
さて、お次の行程は香港名物〈2階建てオープントップバス〉を貸切ってネオンきらめく猥雑な夜の香港の街をドライブするというもの。
この日は同乗者が少なく2階最前列特等席に乗り込みスタート!
バスは疾走する! 香港の街中を。
2階から見下ろすと街の雰囲気はずいぶん違う。
トンネルのように林立するネオン看板の下を、バスがくぐり抜けていく感じだ。
香港の看板は、横に対する規則はゆるいが、縦に対しては2階建てバスの高さを基準にしているとガイドが説明していた。
地面を歩いていると生暖かい風も、高い位置にいると心なしかほほにさわやか心地よい。
看板の下をくぐり抜ける感じで・・・。
しばらくのドライブの後、女人街という香港でもっとも有名な商店街にバスを止め、散策する事になる。
とんでもない所である。
屋台が所狭しと立ち並び、まさに“足の踏み場もない”とはこの事。
人口密度?が、一平方メートル当たり3人という感じか!
ちょうど全島エイサー祭りの時の、ピーク時の球場前の混雑を想像すればよろしい。
香港のマチヤグァー(商店街)の様子は、VOL.1で書いているので割愛する。
要するに〈女人街〉は香港のマチヤグァーの最強版なのだ。
疲れたが、とても楽しく充実した一日を過ごし家路(ホテル路)に着く。
さあ、明日はいよいよ初体験マカオ観光だ! 早起きせねば。
まだ見ぬマカオに思いをはせながら、アルコールなしで深い眠りに着く僕であった。
つづく
タグ :香港
2008年04月27日
香港漫遊記=香港2日目 Vol.1
香港2日目 vol. 1
香港の朝は早い!
今日は出発前に申し込んでいたHISのオプショナルツアーで市内名所観光だ。
市内レストランで朝粥の朝食からツアーのスタートである。
ガイド氏によると香港人は1日5回食べるといわれている。
朝・昼・中・夕・夜
したがって朝は軽く粥で始まるのだという。
この日はあわびと鶏肉の入った粥に点心が数種類。
お粥そのものには味がついておらず、具の鶏肉と干しあわびにしっかりと塩味がつけてある。
前夜のメタボ食いの腹にはあっさりとしていて丁度良い。
粥を口に放り込み咀嚼していると具の旨みと塩味が浸みだしてきて、口中で見事なコラボレーションを奏でる。香港人(中国人)は芸が細かいね~。
ウーロン茶と粥と軽めの点心で済ます朝食は疲れた胃にはすごくやさしい。心なしか健康になった気分だ。
香港の観光といっても、香港島(大陸側)と九龍側があるが何本かの海中道路とフェリーで行き来でき、名所めぐりはほぼ1日で終わってしまう。(詳しくは割愛します)
最近ディズニーランドが出来たのだが、東京のそれよりもしょぼいらしいのでいまいち不評のようだ。

香港名物2階建てオープントップバス。普通のイギリス型2階建てバスもある。

疾走するオープントップバス。あめがふったら? 暑い日は? などと現実的なことばかり考えてしまった。

ビクトリアピークから望む香港の市内。香港はこのようにいつも霞がかっている。ビルの下に雲がたなびく、という光景も珍しくはない。したがって雨も多い街だ。

香港のオフィス街。

中国系の人は信心深い。香港もご他聞にもれずあちらこちらにお寺サンがある。

飲茶を頂く。1997年の返還調印式の後両国のお偉いさんが晩餐会を開いたレストラン。

うわさの香港スイーツ。マンゴープリン。家族全員絶賛超美味。
イギリスとの施政権返還の調印式後、両国の首脳の会食(晩餐会)の会場となったというレストランで飲茶の昼食をとり終えると、(それなりに美味かった!)ほぼ今日の観光は終了。お決まりの免税店での解散となったのが3時過ぎ。
我が家は5時から別のツアーを予約していたのでまだたっぷり時間がある。
免税店には興味がないのでしつこく付きまとう売り子さんを振りきり外へ出た。
香港で楽しいのはやはり街歩き。
買い物好きには別の意味でショッピングの醍醐味を味わえる。
中心街の表通りは世界のブランド品を販売する高級店が立ち並び、世界のセレブ達?がしたり顔で品定めをしているが、その数日本人が圧倒低に多し。日本人はブランドに弱し!
1歩裏道へはいると小汚い(失礼!)マチヤグァーが所狭しと軒を連ね、わけのわからぬ怪しいアクセサリーや服や偽ブランド商品を売っている。
僕はこっちの方が性に合っていて、
『お客さんニセモノあるよ! ローレックスもヴィトンもグッチも何でもあるよ!』
と来る。
『あんたのは高い! あっちはもっと安いよ』
と切り返すと
『あっちのは、C級ニセモノ。ココはA級ニセモノ!!少し高いは、当たり前ネ!』
最近は偽ブランドにはランクがあって、A級品は素人目には本物と殆ど区別がつかないのだという。
もっとも僕の目には本物もニセモノもまるで区別がつかない。本物がどういうものかさえ知らないのだから当たり前か…。
そんなこんなで売り子との真剣勝負でこの値段だ!いやダメだ!電卓で会話し
『オキャクサンニハマケタヨ~。ワタシ、モウケナイヨ!』
とひとまず妥協させ、勝利の満足感で商品を手に入れるが、
うちへ帰って改めて冷静に商品を眺めていると、使い物にならないガラクタばかりなのに気づくが、トキすでに遅し。ヤツらの方が数段上なのであった。
とまあ街をひやかし歩くうちに、約束の5時が近づいてきた。
現地でオプションで申し込んだナイトツアーの集合場所へ行かねばならぬ。
『レイユームーンの夕食とオープントップバス&女人街』
という怪しげなツアー。 いざゆかん!
つづく
香港の朝は早い!
今日は出発前に申し込んでいたHISのオプショナルツアーで市内名所観光だ。
市内レストランで朝粥の朝食からツアーのスタートである。
ガイド氏によると香港人は1日5回食べるといわれている。
朝・昼・中・夕・夜
したがって朝は軽く粥で始まるのだという。
この日はあわびと鶏肉の入った粥に点心が数種類。
お粥そのものには味がついておらず、具の鶏肉と干しあわびにしっかりと塩味がつけてある。
前夜のメタボ食いの腹にはあっさりとしていて丁度良い。
粥を口に放り込み咀嚼していると具の旨みと塩味が浸みだしてきて、口中で見事なコラボレーションを奏でる。香港人(中国人)は芸が細かいね~。
ウーロン茶と粥と軽めの点心で済ます朝食は疲れた胃にはすごくやさしい。心なしか健康になった気分だ。
香港の観光といっても、香港島(大陸側)と九龍側があるが何本かの海中道路とフェリーで行き来でき、名所めぐりはほぼ1日で終わってしまう。(詳しくは割愛します)
最近ディズニーランドが出来たのだが、東京のそれよりもしょぼいらしいのでいまいち不評のようだ。
香港名物2階建てオープントップバス。普通のイギリス型2階建てバスもある。
疾走するオープントップバス。あめがふったら? 暑い日は? などと現実的なことばかり考えてしまった。
ビクトリアピークから望む香港の市内。香港はこのようにいつも霞がかっている。ビルの下に雲がたなびく、という光景も珍しくはない。したがって雨も多い街だ。
香港のオフィス街。
中国系の人は信心深い。香港もご他聞にもれずあちらこちらにお寺サンがある。
飲茶を頂く。1997年の返還調印式の後両国のお偉いさんが晩餐会を開いたレストラン。
うわさの香港スイーツ。マンゴープリン。家族全員絶賛超美味。
イギリスとの施政権返還の調印式後、両国の首脳の会食(晩餐会)の会場となったというレストランで飲茶の昼食をとり終えると、(それなりに美味かった!)ほぼ今日の観光は終了。お決まりの免税店での解散となったのが3時過ぎ。
我が家は5時から別のツアーを予約していたのでまだたっぷり時間がある。
免税店には興味がないのでしつこく付きまとう売り子さんを振りきり外へ出た。
香港で楽しいのはやはり街歩き。
買い物好きには別の意味でショッピングの醍醐味を味わえる。
中心街の表通りは世界のブランド品を販売する高級店が立ち並び、世界のセレブ達?がしたり顔で品定めをしているが、その数日本人が圧倒低に多し。日本人はブランドに弱し!
1歩裏道へはいると小汚い(失礼!)マチヤグァーが所狭しと軒を連ね、わけのわからぬ怪しいアクセサリーや服や偽ブランド商品を売っている。
僕はこっちの方が性に合っていて、
『お客さんニセモノあるよ! ローレックスもヴィトンもグッチも何でもあるよ!』
と来る。
『あんたのは高い! あっちはもっと安いよ』
と切り返すと
『あっちのは、C級ニセモノ。ココはA級ニセモノ!!少し高いは、当たり前ネ!』
最近は偽ブランドにはランクがあって、A級品は素人目には本物と殆ど区別がつかないのだという。
もっとも僕の目には本物もニセモノもまるで区別がつかない。本物がどういうものかさえ知らないのだから当たり前か…。
そんなこんなで売り子との真剣勝負でこの値段だ!いやダメだ!電卓で会話し
『オキャクサンニハマケタヨ~。ワタシ、モウケナイヨ!』
とひとまず妥協させ、勝利の満足感で商品を手に入れるが、
うちへ帰って改めて冷静に商品を眺めていると、使い物にならないガラクタばかりなのに気づくが、トキすでに遅し。ヤツらの方が数段上なのであった。
とまあ街をひやかし歩くうちに、約束の5時が近づいてきた。
現地でオプションで申し込んだナイトツアーの集合場所へ行かねばならぬ。
『レイユームーンの夕食とオープントップバス&女人街』
という怪しげなツアー。 いざゆかん!
つづく
2008年04月23日
香港漫遊記=香港初日
前回よりの続き
さて香港であった。
行く先を香港へと定めた我が宮城家は、4月3日午後5時発の那覇⇔香港就航便に乗り込む。
さすが直行便。飛行時間わずか2時間半。飛行機は小型だが、されど国際線。
スッチーはアジア人で日本語はあまり上手ではない。イイノダ、イイノダ、それでこそ国際線。
期待してなかったが、食事と食前酒が出た。ビールとワインをがぶ飲みしながらラムステーキを頂く。機内食というと大抵マズいのであるがコレがまた美味であった。僕の頭はすでに休日弛緩ムード。いいねえ国際線。

ほとんど衝動的行き当たりばっ旅なので、計画はほとんど立てていない。
イイノダ、イイノダ、何とかなるさ!
なんと言っても香港は食だな、食いモンだな。広東料理に潮州料理、今日の夕飯はどうすべえか? イヤイヤ待てよ~、北京ダックも捨てがたい、鍋料理もうまいと聞く。まだ胃の中に滞留しておるであろうラム君の存在を忘れて、よだれを垂らしながら夢想していると、あっという間に香港国際空港へ到着だ。
香港時間で午後7時。時差1時間。(遅れ)
香港での宿泊先はホテルハーバープラザ。(追加金を払って少しグレードを上げた)
香港最大の繁華街であるチムサアチョイから車で5分ほどの所で、ホテルからチムサアチョイまで無料リムジンバスが20分おきに出ているのでとても便利である。
入国検査やら荷物チェックやらで思いのほか時間を喰ってしまい。おまけにパックツアーなので全員集合するまで、ホテルまでの送迎バスが発車しない。ホテルに着いたのはなんと9時を過ぎていた。
夜型生活者の宮城家。ココで明日に備えてゆっくり休もうとは思わない。
ちょうど小腹もすいてきた。香港はうってつけの夜型社会。
ホテルリムジンでチムサアチョイの繁華街へGO!
なんとまあ、木曜日の10時前にもかかわらず人の多いこと多いこと…。
僕は返還前の香港に行ったことがあるが、久しぶりの香港もあいも変わらず街なかの雑踏と毒々しげな看板のまるで展示会。いいんだなコレが!
デパートとマチヤグワーとブランド高級店と屋台とレストランと様々な店が混在し、怪しげな呼び込みニーチャンとこれまた怪しげなポン引き風オババとチラシ配りが声をかけてくる。
しかし不思議と危険を感じない。これぞ香港! わがコザとの共通点有也。


さて、夜遊びくいんしん坊一家は街中の色々な展示品に目を奪われつつも、時速0.5Kmの超低速で町を散策。ある一軒の店にたどり着く。
『有骨気火鍋餐店』
この店を選んだ理由。
つたない英語が何とか通じた事と、平日にもかかわらずお客さんが入っており殆どが地元の庶民と学生風。
値段が高い筈がない。
あと日本語のメニューが準備されていた事と長年の経験によるカンですよカン!
要するに、鍋物の専門店である。アチラでは火鍋といい日本とほぼ同じスタイルで食すが、ただ違うのは日本みたいに海鮮とか肉とか分けるのではなく、とにかく何でもぶち込んでしまう。牛肉も豚肉も白身魚もイカもチキンも点心も葉野菜も根菜もとうもろこしもうどんもみ~んなぶち込んで、ワッシワッシとひたすら喰う。なぜかスープだけはとんこつだのマカオ風だのトムヤムクン風だの色々選べる。
少々気持ち悪そうだが、特性のタレにつけて食うとコレが奇妙なウマさなのだ!


チャンプルー鍋メタボ喰い(食べ放題でした)ビール3本で家族4人で7000円位であった。
さあ明日は6時おきだぞ!
満足した気分で、どんよりと生暖かい風をほほに受けながら帰途についたのはすでに12時を過ぎていた…。
つづく
さて香港であった。
行く先を香港へと定めた我が宮城家は、4月3日午後5時発の那覇⇔香港就航便に乗り込む。
さすが直行便。飛行時間わずか2時間半。飛行機は小型だが、されど国際線。
スッチーはアジア人で日本語はあまり上手ではない。イイノダ、イイノダ、それでこそ国際線。
期待してなかったが、食事と食前酒が出た。ビールとワインをがぶ飲みしながらラムステーキを頂く。機内食というと大抵マズいのであるがコレがまた美味であった。僕の頭はすでに休日弛緩ムード。いいねえ国際線。
ほとんど衝動的行き当たりばっ旅なので、計画はほとんど立てていない。
イイノダ、イイノダ、何とかなるさ!
なんと言っても香港は食だな、食いモンだな。広東料理に潮州料理、今日の夕飯はどうすべえか? イヤイヤ待てよ~、北京ダックも捨てがたい、鍋料理もうまいと聞く。まだ胃の中に滞留しておるであろうラム君の存在を忘れて、よだれを垂らしながら夢想していると、あっという間に香港国際空港へ到着だ。
香港時間で午後7時。時差1時間。(遅れ)
香港での宿泊先はホテルハーバープラザ。(追加金を払って少しグレードを上げた)
香港最大の繁華街であるチムサアチョイから車で5分ほどの所で、ホテルからチムサアチョイまで無料リムジンバスが20分おきに出ているのでとても便利である。
入国検査やら荷物チェックやらで思いのほか時間を喰ってしまい。おまけにパックツアーなので全員集合するまで、ホテルまでの送迎バスが発車しない。ホテルに着いたのはなんと9時を過ぎていた。
夜型生活者の宮城家。ココで明日に備えてゆっくり休もうとは思わない。
ちょうど小腹もすいてきた。香港はうってつけの夜型社会。
ホテルリムジンでチムサアチョイの繁華街へGO!
なんとまあ、木曜日の10時前にもかかわらず人の多いこと多いこと…。
僕は返還前の香港に行ったことがあるが、久しぶりの香港もあいも変わらず街なかの雑踏と毒々しげな看板のまるで展示会。いいんだなコレが!
デパートとマチヤグワーとブランド高級店と屋台とレストランと様々な店が混在し、怪しげな呼び込みニーチャンとこれまた怪しげなポン引き風オババとチラシ配りが声をかけてくる。
しかし不思議と危険を感じない。これぞ香港! わがコザとの共通点有也。
さて、夜遊びくいんしん坊一家は街中の色々な展示品に目を奪われつつも、時速0.5Kmの超低速で町を散策。ある一軒の店にたどり着く。
『有骨気火鍋餐店』
この店を選んだ理由。
つたない英語が何とか通じた事と、平日にもかかわらずお客さんが入っており殆どが地元の庶民と学生風。
値段が高い筈がない。
あと日本語のメニューが準備されていた事と長年の経験によるカンですよカン!
要するに、鍋物の専門店である。アチラでは火鍋といい日本とほぼ同じスタイルで食すが、ただ違うのは日本みたいに海鮮とか肉とか分けるのではなく、とにかく何でもぶち込んでしまう。牛肉も豚肉も白身魚もイカもチキンも点心も葉野菜も根菜もとうもろこしもうどんもみ~んなぶち込んで、ワッシワッシとひたすら喰う。なぜかスープだけはとんこつだのマカオ風だのトムヤムクン風だの色々選べる。
少々気持ち悪そうだが、特性のタレにつけて食うとコレが奇妙なウマさなのだ!
チャンプルー鍋メタボ喰い(食べ放題でした)ビール3本で家族4人で7000円位であった。
さあ明日は6時おきだぞ!
満足した気分で、どんよりと生暖かい風をほほに受けながら帰途についたのはすでに12時を過ぎていた…。
つづく
タグ :香港
2008年04月08日
お久しぶりです!そして香港漫遊記。
気がつけばもう一月以上ブログを更新していない。
『多忙であった』
などと言い訳はもはや通用しますまい。単なるフユー(ものぐさ)であります。
『これからはまじめに定期的に書きます。心を入れ替えます。』
といっても誰も信用してくれないので、せめて
『気が向いたときに、面白い事を渾身の力を込めて書きます。』
ぐらいの宣言にとどめて置きます。
このB級ブログ空白の期間、時々覗いてくれている友人達何名かが電話をくれた。
『ブログ更新してないけど、忙しいの?』
さりげなく聞いてくる。まだカワイイ。
ひどい奴になると。
『最近書いてないなぁ! いまひょっとして病院?』
露骨に探りを入れてくる。あの大腸がん疑惑事件以来(2/16『告白』参照)どうもその話題が付きまとう今日この頃なのだ。
“憎まれっ子世にはばかる”
でこの通りぴんぴんしている。
さて話は変わり、4/3から3泊4日で香港へ行ってきた。
ホテルも繁忙期が去り少し落ち着いてきた。3~4日ならお休みが取れそうである。
「どこかへ命の洗濯にいきたいね~」と精神的疲労のピークにある女房と話していた所。
《香港⇔沖縄定期便就航記念につき、香港3泊4日キャンペーン価格39800円也》
3月某日の朝刊にいきなりこのような広告が出ておるではないか!
どこをどうやったらこんな価格が出るのだ! ホテル代込み~?どんなからくりだ!
観光業の端くれにいる者としては、怒りにも似た感情がこみ上げてくるが、しかし。
これは個人的には『渡りに船』『天の思し召し』だ。気を取り直し主催旅行者のHISに駆け込む。
人は常に自分中心に物を考える都合の良い葦なのである。
やはり世間は目ざとい。広告の当日でもう満席状態…。
そこで、トホホ…と期待を裏切られたショックで肩を落としうなだれ、あきらめ、放心状態で進められるままに他の高価なツアーを夢遊病者のように選択してしまうのは、シロートの所業。
観光業の端くれにいる物としては、ココでしばし一考。
〈キャンセルは必ず出る。ここは待ちだ!〉
家族4人分。満を持してキャンセル待ちを申請する。
そして深い?読み通り。二日後に“飛行機の座席ホテルとも取れました”との連絡がHISより入る。
かくして、宮城家4人の久しぶりの家族団らん緊急香港ツアーがはじまる。
つづく
2007年11月16日
パルミラの喧騒
パルミラ通りで催された《ヒージャー&ボージョレーヌーボー》のパーティ。
アジアのどこかの町的でとても雰囲気がよろしい。
ジャズの調べもムーディーで心地よかった。
僕はこういう盛り上がり方が好きだ。
何故ボージョレーの解禁日をパルミラで祝わないといけないのか? 良くわからんが。
その良くわからんところがお祭り好きなコザ人的で大変よろしい!
楽しむのに理由はいらん。
毎週やろう! 毎週!
実行委員長殿!
関係者の皆さん本当にご苦労様でした。
2007年08月19日
名古屋へ行ってきたがや~! vol.2
名古屋旅二日目


のっけから衝撃的映像!
我が漫遊国名古屋特派員のナゴヤアキ嬢の指差すは、名古屋の繁華街伏見のど真ん中に出来た
『オキナワAサインバー KOZA』 なのだ。
オーナーの秋吉拓史氏は知る人ぞ知るコザ取り憑かれ人間!
「平和世創人(へいわゆぬつくりびと)ちむどんどん」なる演劇集団を主宰するナイスガイ。詳しくはココを訪ねられたし。

秋吉さんとの久しぶりのご対面とこの店のコンセプトにただただ感激!!
これだけでも名古屋に来た甲斐があったと言うもの。
あえて店の事は書きません。是非お越しあれ。絶対後悔しませんヨ。
さてこの日は前日の深酒で危うくホテルの朝食を食いっぱぐれる所であった。何とか気力でベッドから這い出て、メシにありつき今晩の戦いに備える。
昼間、友人の案内で変貌遂げた名古屋市内を徘徊し、遅い昼飯を食いそこで又、ビールやワインなどをたしなむ、まさにエエ加減にせーよ!と言うところだ。

母ちゃんとご本人

ナゴヤアキの父ちゃん
そして夕方ナゴヤアキちゃん親子(デイゴ常連。かつて沖縄在住)と合流、久しぶりの再会。
沖縄の近況や名古屋のハナシに盛り上がり話題は尽きず、楽しいひと時を過ごした。
先述の『オキナワAサインバー KOZA』はアキレポーターからの情報で案内してもらった。時々コザの香りに触れにくるのだそうである。
しかしアキレポーターの『30才までに嫁に行く!』宣言はどうなったんでしょうね・・・?
確かもうすぐorもうすでに・・・。
今回の名古屋旅は“古きを訪ね。新しきを知る”であった。
そして主に人に会い、酒肴を堪能し、語らい、至福のひと時を過ごせた。
観光地巡りや温泉やリゾートの旅もひとつの旅の形であるのだが、“人に会う”又は“出会う”という形の旅があってもいいもんだなあ。と素直に思う。
翌日、近鉄特急に乗って次の目的地の大阪豊中へ向かう僕の心は、洗いたての真白きTOTOの便器のように一点の曇りも無かった(文学的だな~)。


のっけから衝撃的映像!
我が漫遊国名古屋特派員のナゴヤアキ嬢の指差すは、名古屋の繁華街伏見のど真ん中に出来た
『オキナワAサインバー KOZA』 なのだ。
オーナーの秋吉拓史氏は知る人ぞ知るコザ取り憑かれ人間!
「平和世創人(へいわゆぬつくりびと)ちむどんどん」なる演劇集団を主宰するナイスガイ。詳しくはココを訪ねられたし。

秋吉さんとの久しぶりのご対面とこの店のコンセプトにただただ感激!!
これだけでも名古屋に来た甲斐があったと言うもの。
あえて店の事は書きません。是非お越しあれ。絶対後悔しませんヨ。
さてこの日は前日の深酒で危うくホテルの朝食を食いっぱぐれる所であった。何とか気力でベッドから這い出て、メシにありつき今晩の戦いに備える。
昼間、友人の案内で変貌遂げた名古屋市内を徘徊し、遅い昼飯を食いそこで又、ビールやワインなどをたしなむ、まさにエエ加減にせーよ!と言うところだ。

母ちゃんとご本人

ナゴヤアキの父ちゃん
そして夕方ナゴヤアキちゃん親子(デイゴ常連。かつて沖縄在住)と合流、久しぶりの再会。
沖縄の近況や名古屋のハナシに盛り上がり話題は尽きず、楽しいひと時を過ごした。
先述の『オキナワAサインバー KOZA』はアキレポーターからの情報で案内してもらった。時々コザの香りに触れにくるのだそうである。
しかしアキレポーターの『30才までに嫁に行く!』宣言はどうなったんでしょうね・・・?
確かもうすぐorもうすでに・・・。
今回の名古屋旅は“古きを訪ね。新しきを知る”であった。
そして主に人に会い、酒肴を堪能し、語らい、至福のひと時を過ごせた。
観光地巡りや温泉やリゾートの旅もひとつの旅の形であるのだが、“人に会う”又は“出会う”という形の旅があってもいいもんだなあ。と素直に思う。
翌日、近鉄特急に乗って次の目的地の大阪豊中へ向かう僕の心は、洗いたての真白きTOTOの便器のように一点の曇りも無かった(文学的だな~)。
2007年08月11日
名古屋に行ってきたがや~ vol.1
名古屋旅初日
愉快で発見と感動多き旅であった。
と同時にかなり内蔵も疲れ果て、脳みそもカニミソぐちゃぐちゃ状態である。
今回の旅の目的は、沖縄市と兄弟都市である大阪豊中市の豊中祭りへ、漫遊国副議長の古堅サンと共に訪問する事であった。
今までそんなこと露ほども思わなかったのだが、どういう訳か僕は学生時代4年間を過ごした名古屋が無性に恋しくなり、エエーイついでだ!とばかりに2日ばかり早めに名古屋へ旅立ち、23年振りにこの地を踏みしめる事と相成った。
よって、古堅サンとは大阪豊中で合流する事になる。
豊中市も盛大な祭りと友人達の手厚い歓迎でとても快適に過ごせたのであるが、この事については古堅サンが漫遊国ブログで詳細に紹介しているので、ご参照あれ。
さて名古屋である。
僕は今まで学生時代過ごしたこの地に対して、あまり良いイメージを持っていなかった。学校へはあまり行かずにマージャンと酒盛りに明け暮れ、彼女もいないが金もない! という暗く陰惨な学生生活を送っていたので性格がひん曲がってしまい、早く卒業して故郷に帰りたいという思いが強く、所得単位ギリギリの成績で何とか卒業し沖縄に帰り着いた時には、まるでムショ帰りのこずるい小悪党のような風情であったに違いない。
この褒められない経験が、僕を名古屋という地から遠ざけていたのだ。
セントレア空港と言ういつ聞いても地域性の無い、ダサくてある意味名古屋らしい空港から名古屋駅前に行き着いた時は、駅前の変貌振りに愕然とした。
あの大トヨタの新本社?ビルがそびえ立ち、周辺の光景は覚えのない建物ばかり。名古屋と言うとあまり高いビルは無く、どこかゆったり感の漂うのんびりとした『大いなる田舎』と言う表現がぴったりと来る都市だったはずなのだが・・・。
泊まったホテルは名古屋駅近くの少し古い15階建なのだが、周りの建物があまりにノッポでまるでビルとビルの間にひっそりとたたずんでいる感じで、探すのに苦労した。
地下鉄・電車の交通網も当時と比べて比較にならぬほど整備されている。
名古屋経済は不況をもろともせず、今日本で一番元気があるのだそうである。
今回の名古屋旅の主なる目的は、名古屋の友人達と旧交を温めつつ街を視察(飲み歩く)するという事にあったので、初日は早速名古屋在住の学友達と名古屋駅周辺と、かつて住んだ大学周辺(地下鉄塩釜口)を散策してみた(飲み歩いた)。
久々の名古屋の酒も肴もとてもおいしく、何よりも20数年ぶりに会う友人達との会話も弾み格別なる時を過ごせた。
当時の学校周辺はまだ畑も空き地も残っていて、そこで農業を営むじっちゃんやばあちゃんがその隣のビルのオーナーなんて事も少なくなかった。
そんな所が実に大名古屋的だったのである。
そして今やこの学生街も変貌を遂げ、じっちゃんもばあちゃんも畑も無いが昔住んだアパートや駅舎の面影はかすかながら残っており、ノスタルジアを感じた。悪友たちも同じ思いに駆られた模様。
当時よく通ったヤキトリ屋の親父も我々を覚えてくれており、僕のブログも見てくれているとの事。漫遊国の名はこの尾張平野まで轟いていたのである。
夜も更けて来た。明日はナゴヤアキちゃん親子(デイゴ常連。沖縄在住一年余経験。漫遊国レポーター)との久々の再会だ。
ホテルのベッドで『名古屋もなかなか面白いに~!』と一人好い気分に浸りながら唸りつつ30秒で深い眠りに陥った。
学生時代の友人N氏とH氏。ふたりとも名古屋人であくどく?しこたま稼いでるとのウワサ。
学生街のバーの素敵な店員ネーチャン!名前は忘れた。この頃から意識もうろう気味。
この店のメシは抜群に美味く、店員さんの対応も良かった。名古屋らしくない!
次回に続く
愉快で発見と感動多き旅であった。
と同時にかなり内蔵も疲れ果て、脳みそもカニミソぐちゃぐちゃ状態である。
今回の旅の目的は、沖縄市と兄弟都市である大阪豊中市の豊中祭りへ、漫遊国副議長の古堅サンと共に訪問する事であった。
今までそんなこと露ほども思わなかったのだが、どういう訳か僕は学生時代4年間を過ごした名古屋が無性に恋しくなり、エエーイついでだ!とばかりに2日ばかり早めに名古屋へ旅立ち、23年振りにこの地を踏みしめる事と相成った。
よって、古堅サンとは大阪豊中で合流する事になる。
豊中市も盛大な祭りと友人達の手厚い歓迎でとても快適に過ごせたのであるが、この事については古堅サンが漫遊国ブログで詳細に紹介しているので、ご参照あれ。
さて名古屋である。
僕は今まで学生時代過ごしたこの地に対して、あまり良いイメージを持っていなかった。学校へはあまり行かずにマージャンと酒盛りに明け暮れ、彼女もいないが金もない! という暗く陰惨な学生生活を送っていたので性格がひん曲がってしまい、早く卒業して故郷に帰りたいという思いが強く、所得単位ギリギリの成績で何とか卒業し沖縄に帰り着いた時には、まるでムショ帰りのこずるい小悪党のような風情であったに違いない。
この褒められない経験が、僕を名古屋という地から遠ざけていたのだ。
セントレア空港と言ういつ聞いても地域性の無い、ダサくてある意味名古屋らしい空港から名古屋駅前に行き着いた時は、駅前の変貌振りに愕然とした。
あの大トヨタの新本社?ビルがそびえ立ち、周辺の光景は覚えのない建物ばかり。名古屋と言うとあまり高いビルは無く、どこかゆったり感の漂うのんびりとした『大いなる田舎』と言う表現がぴったりと来る都市だったはずなのだが・・・。
泊まったホテルは名古屋駅近くの少し古い15階建なのだが、周りの建物があまりにノッポでまるでビルとビルの間にひっそりとたたずんでいる感じで、探すのに苦労した。
地下鉄・電車の交通網も当時と比べて比較にならぬほど整備されている。
名古屋経済は不況をもろともせず、今日本で一番元気があるのだそうである。
今回の名古屋旅の主なる目的は、名古屋の友人達と旧交を温めつつ街を視察(飲み歩く)するという事にあったので、初日は早速名古屋在住の学友達と名古屋駅周辺と、かつて住んだ大学周辺(地下鉄塩釜口)を散策してみた(飲み歩いた)。
久々の名古屋の酒も肴もとてもおいしく、何よりも20数年ぶりに会う友人達との会話も弾み格別なる時を過ごせた。
当時の学校周辺はまだ畑も空き地も残っていて、そこで農業を営むじっちゃんやばあちゃんがその隣のビルのオーナーなんて事も少なくなかった。
そんな所が実に大名古屋的だったのである。
そして今やこの学生街も変貌を遂げ、じっちゃんもばあちゃんも畑も無いが昔住んだアパートや駅舎の面影はかすかながら残っており、ノスタルジアを感じた。悪友たちも同じ思いに駆られた模様。
当時よく通ったヤキトリ屋の親父も我々を覚えてくれており、僕のブログも見てくれているとの事。漫遊国の名はこの尾張平野まで轟いていたのである。
夜も更けて来た。明日はナゴヤアキちゃん親子(デイゴ常連。沖縄在住一年余経験。漫遊国レポーター)との久々の再会だ。
ホテルのベッドで『名古屋もなかなか面白いに~!』と一人好い気分に浸りながら唸りつつ30秒で深い眠りに陥った。
学生時代の友人N氏とH氏。ふたりとも名古屋人であくどく?しこたま稼いでるとのウワサ。
学生街のバーの素敵な店員ネーチャン!名前は忘れた。この頃から意識もうろう気味。
この店のメシは抜群に美味く、店員さんの対応も良かった。名古屋らしくない!
次回に続く
2007年06月29日
台湾社員旅行顛末記
怪しい漢方薬
6月の6日から3日間、デイゴホテル社員旅行が創業以来初の試みで開催され、全員無事旅行先の台湾より帰国した。旅行の記憶がよき思い出としていまだに大脳の“楽しかった事”コーナーの中枢を占めているらしく、時々、旅行時の事が話題に上る。旅行に参加した社員同士の会話の一部。
『ね~、あの薬使ってみた? あそこで買ったあの軟膏。』
『ん~ん、まだ使ってないさー、最近ヤケドしないしねー』
『クリームとしても上等ってよー、肌に良くなじむってよー』
『だけどあれは凄かったねー! でも高かったから今度ヤケドした時使ってみるさー』
なにやら意味深な話である。
留守番居残り組の私は、すぐさまこの会話に反応しお話を拝聴した。
読者の皆様にもご報告しよう。この話はあくまで伝聞である。
旅行の最終日。その日の日程も消化しひと段落ついた頃。
デイゴ社員ツアーの現地ガイド氏が突然今までの流暢な日本語から一変してのたまった。
『ハイ!ミナサン。コレカラトテモスゴイトコロヘイッテカイモノスルヨ、チュウゴク4000ネンノレキシ、カンポウヤクノミセアルヨ!トテモヨクキク、コノミセダケ。カウカワナイオキャクサンノジユウ!』
なにやら昔の電報調(知っているだろうか?)になってしまったが、とにもかくにもアヤシイガイド氏の案内でアヤシイ場所に連れ込まれ、ライブハウスの如くに折りたたみイスに座らされ、そしてアヤシイ芸が始まった。
最初は半信半疑でフフン!と鼻で笑っていた社員達も、筋肉オジーの“鉄筋首付き曲げ”“真剣白羽渡り”等の演技になると、その奥深き芸に魅せられ倒錯の世界へ引き込まれ始めていた。
そしていよいよクライマックス!!!
ジャーン! 登場した先程の筋骨オジー。
その横には燃え盛るコンロの上で、地獄の釜のように赤く発色する鉄製チェーン。
ナ・ナント! オジーは不敵な笑いを浮かべ、おもむろにこの融解寸前の鉄製チェーンをつかみ上げ頭上へかざす。
つかんだ手とチェーンの隙間から白煙が立ちこめ、あたりには肉の焼け焦げるにおいが充満する。観客席からは悲鳴にも似た叫びが・・・。
しかし、そのあまりにも無謀な行為。数秒後あまりの痛さに筋骨オジーの不敵な顔も苦痛でゆがみ、耐え切れずにチェーンを放り投げた。
怒涛のような鳴り止まぬ雨あられの拍手。いったい何を賞賛すると言うのか・・・。
実はポイントはココからなのだ。
おもむろに登場した司会役。中国4000年の秘伝の軟膏を携えそれをおもむろに筋骨オジーのその焼け爛れた(であろう)手の部所に塗りたくり、30分待つのだと言う。
そして苦痛のオジーを目の前のイスに座らせ、漢方の効用などを説明し始めた。
30分の後、司会役に促された筋骨オジー、あの苦痛はどこへやら。満面に笑顔をたたえ手のひらを観客に向けた。
ヤヤヤ・・・ナ・ナント! 焼け爛れは跡形もなく消え去り、元のつるんつるんのチェリーナ手のひら。
すっかりオウム信者状態に洗脳された我が社員。6000円~12000円の訳の分からぬ中国4000年の歴史軟膏をトランス状態で買いあさったそうな。
後日、この話を聞いた私と中国軟膏を購入したF女史の会話
『オメーらアホか! そんな事があってたまるか。』
『ホントに直ったんだから!ホントなの!』
『トリックだよ。トリッく!最初からヤケドなんかしてないんだよ。』
『一度焼け爛れて壊死した細胞が、元通りに回復する事はありえんだろう。そもそも100歩譲って仮にそれが本当だとしたら、美容形成外科界では革命だぜ!』
『しかし、肌荒れや日焼けにもイイってよ!』
『肌荒れや日焼け止めクリームは12000円もしないだろう。』
『・・・・・・。』
大枚はたいて購入した手前、何とか信じたい!ホントであってほしい!切ない願いがひしひしと伝わってくる。
居残り留守番役の腹いせを陰湿にもF女史にぶつけて楽しむ意地悪な性格の私。
しかし実はナニを隠そう20数年前に台湾を訪れた私も同様な手口でダマされた。
あの時は熱湯をぶっ掛けたが、今や焼けた鉄製チェーンとは進化したものである。
しかしどの様な手口で、あのような事が出来るのであろうか?いまだ持って謎のままだ。
それにしてもアジアの商人の売らんとする根性のしぶとさは芸術的だなぁ・・・。
下の写真をご覧下さい。この軟膏の製造販売会社はあの○○ホルンリンクルの
コマーシャルでおなじみの製薬会社名と酷似しています。
手口も似ていると言う声も。もしかして・・・。
6月の6日から3日間、デイゴホテル社員旅行が創業以来初の試みで開催され、全員無事旅行先の台湾より帰国した。旅行の記憶がよき思い出としていまだに大脳の“楽しかった事”コーナーの中枢を占めているらしく、時々、旅行時の事が話題に上る。旅行に参加した社員同士の会話の一部。
『ね~、あの薬使ってみた? あそこで買ったあの軟膏。』
『ん~ん、まだ使ってないさー、最近ヤケドしないしねー』
『クリームとしても上等ってよー、肌に良くなじむってよー』
『だけどあれは凄かったねー! でも高かったから今度ヤケドした時使ってみるさー』
なにやら意味深な話である。
留守番居残り組の私は、すぐさまこの会話に反応しお話を拝聴した。
読者の皆様にもご報告しよう。この話はあくまで伝聞である。
旅行の最終日。その日の日程も消化しひと段落ついた頃。
デイゴ社員ツアーの現地ガイド氏が突然今までの流暢な日本語から一変してのたまった。
『ハイ!ミナサン。コレカラトテモスゴイトコロヘイッテカイモノスルヨ、チュウゴク4000ネンノレキシ、カンポウヤクノミセアルヨ!トテモヨクキク、コノミセダケ。カウカワナイオキャクサンノジユウ!』
なにやら昔の電報調(知っているだろうか?)になってしまったが、とにもかくにもアヤシイガイド氏の案内でアヤシイ場所に連れ込まれ、ライブハウスの如くに折りたたみイスに座らされ、そしてアヤシイ芸が始まった。
最初は半信半疑でフフン!と鼻で笑っていた社員達も、筋肉オジーの“鉄筋首付き曲げ”“真剣白羽渡り”等の演技になると、その奥深き芸に魅せられ倒錯の世界へ引き込まれ始めていた。
そしていよいよクライマックス!!!
ジャーン! 登場した先程の筋骨オジー。
その横には燃え盛るコンロの上で、地獄の釜のように赤く発色する鉄製チェーン。
ナ・ナント! オジーは不敵な笑いを浮かべ、おもむろにこの融解寸前の鉄製チェーンをつかみ上げ頭上へかざす。
つかんだ手とチェーンの隙間から白煙が立ちこめ、あたりには肉の焼け焦げるにおいが充満する。観客席からは悲鳴にも似た叫びが・・・。
しかし、そのあまりにも無謀な行為。数秒後あまりの痛さに筋骨オジーの不敵な顔も苦痛でゆがみ、耐え切れずにチェーンを放り投げた。
怒涛のような鳴り止まぬ雨あられの拍手。いったい何を賞賛すると言うのか・・・。
実はポイントはココからなのだ。
おもむろに登場した司会役。中国4000年の秘伝の軟膏を携えそれをおもむろに筋骨オジーのその焼け爛れた(であろう)手の部所に塗りたくり、30分待つのだと言う。
そして苦痛のオジーを目の前のイスに座らせ、漢方の効用などを説明し始めた。
30分の後、司会役に促された筋骨オジー、あの苦痛はどこへやら。満面に笑顔をたたえ手のひらを観客に向けた。
ヤヤヤ・・・ナ・ナント! 焼け爛れは跡形もなく消え去り、元のつるんつるんのチェリーナ手のひら。
すっかりオウム信者状態に洗脳された我が社員。6000円~12000円の訳の分からぬ中国4000年の歴史軟膏をトランス状態で買いあさったそうな。
後日、この話を聞いた私と中国軟膏を購入したF女史の会話
『オメーらアホか! そんな事があってたまるか。』
『ホントに直ったんだから!ホントなの!』
『トリックだよ。トリッく!最初からヤケドなんかしてないんだよ。』
『一度焼け爛れて壊死した細胞が、元通りに回復する事はありえんだろう。そもそも100歩譲って仮にそれが本当だとしたら、美容形成外科界では革命だぜ!』
『しかし、肌荒れや日焼けにもイイってよ!』
『肌荒れや日焼け止めクリームは12000円もしないだろう。』
『・・・・・・。』
大枚はたいて購入した手前、何とか信じたい!ホントであってほしい!切ない願いがひしひしと伝わってくる。
居残り留守番役の腹いせを陰湿にもF女史にぶつけて楽しむ意地悪な性格の私。
しかし実はナニを隠そう20数年前に台湾を訪れた私も同様な手口でダマされた。
あの時は熱湯をぶっ掛けたが、今や焼けた鉄製チェーンとは進化したものである。
しかしどの様な手口で、あのような事が出来るのであろうか?いまだ持って謎のままだ。
それにしてもアジアの商人の売らんとする根性のしぶとさは芸術的だなぁ・・・。
下の写真をご覧下さい。この軟膏の製造販売会社はあの○○ホルンリンクルの
コマーシャルでおなじみの製薬会社名と酷似しています。
手口も似ていると言う声も。もしかして・・・。
2007年05月09日
ハワイ滞在記 最終章
ハワイのウチナーチュ
ハワイの州都ホノルルのあるオアフ島から、ハワイ一のビッグアイランド、火山の島
ハワイ島へと向かった。
ここでは、僕のハワイの友人で沖縄3世のKANNA(漢那)さんが空港まで出迎えてくれ、
おまけに観光案内までしてくれる事になっている。
2日間におよび彼の案内でめぐったハワイ島の自然は、真にすばらしい物であった。
リゾート開発の手は伸びているとは言っても、住民の生活感が実感され且つ
未だ手付かずの自然がかなり残っており、その様相も日本のそれとかなり違うので
大変興味深かった。
ホノルルのリゾートが人工的に造られた快適で便利な機能美的美しさだとしたら、
やや大げさであるが、伝説と神話の島であるハワイ島はまさに神の創造物とも言える。
詳しくはここに書かないが、興味のある方はweb等で検索してみては・・・。
さて話はここから。
その晩KANNAサンにパーティー誘われてノコノコついていったら、なんとそれは、
我々家族の歓迎会! ベリーサプライズであった。
総勢で30名強のこのメンバーは去年の世界のウチナーンチュ大会でデイゴホテルに宿泊した、
ハワイのウチナーンチュのメンバーであった。
『あの時はお世話になったね!』
『みんな元気?』
と数ヶ月ぶりの再開に皆が話の花を咲かせた。
家族単位で料理持ち寄りという、スタイルはアメリカで心はウチナーンチュの
ホームパーティーは娘達にも初めての経験で、とてもあたたかく楽しく過ごせた。
考えてみれば、我々はホテル屋の仕事として、確かにかなり力は入っていたが
当たり前のことをしただけ。そして彼らはそのことに対して代価を払ったわけだから、
恩義など感じる必要もない。
しかし、彼らのイチャリーバチョーデー精神(=袖すり合うも他生の縁)は、それでは良しとしない。
帰国の日の朝も、何名かの方が僕らの宿泊するホテルまでお土産を届けてくれた。
その中でも、85歳のおばあちゃんが自分で車を運転してきて、デイゴホテルの
スタッフの皆さんへと、ハワイ特産“コナコーヒー”を届けてくれて
『生きているうちにもう一度必ず行くからネ!』
といって別れを告げたときには、涙をこらえるのに必死であった。
ほとんどの方々が、これまでに大変な苦労をしてきたであろう移民3世以上で
日本語も片言しか話せないのにもかかわらず、彼らのふるさと沖縄を思う気持ちと
現代人が失いかけた心の温かさに、ただただ感激するのみで
『ハワイに来てよかった!』
とこの時しみじみと感じた。
コザへ帰ってきてハワイの事を思い出すとき、どうしても我が郷土沖縄とオーバーラップ
させてしまう。
ワイキキの美しい街並みに立ち並ぶ、外資系大ホテル群。
ワイキキからどんどん半径を広げて建設中のマンション、コンドミニアム、新作ホテル。
慢性的な渋滞。(ハワイも鉄軌道がない)
確かに開発は雇用の促進と税収を押し上げ、ビジネスチャンスも生まれるかもしれない。
しかし環境や住民の生活に影響を与えるのも又、事実であろう。
この地にこれ以上のものが必要なのだろうか?
20年後のハワイ、沖縄は想像もつかない。
子や孫に誇れるものであることを願わずにはいられない。

ハワイ島火山の火口跡。いまだ煙が噴出す!対岸まで数キロある。

料理持ち寄りサプライズパーティ。皆料理が上手だった。
ハワイ島では、こういう光景がいたるところで見られる。

ハワイ島の地元の人が行く公共ビーチ。静かでとても気持ちがイイ!
おわり
追伸 世界のウチナーンチュについては、カテゴリー《B級ホテルの内緒話》の中に紹介してあります。是非ご一読下さい。
ハワイの州都ホノルルのあるオアフ島から、ハワイ一のビッグアイランド、火山の島
ハワイ島へと向かった。
ここでは、僕のハワイの友人で沖縄3世のKANNA(漢那)さんが空港まで出迎えてくれ、
おまけに観光案内までしてくれる事になっている。
2日間におよび彼の案内でめぐったハワイ島の自然は、真にすばらしい物であった。
リゾート開発の手は伸びているとは言っても、住民の生活感が実感され且つ
未だ手付かずの自然がかなり残っており、その様相も日本のそれとかなり違うので
大変興味深かった。
ホノルルのリゾートが人工的に造られた快適で便利な機能美的美しさだとしたら、
やや大げさであるが、伝説と神話の島であるハワイ島はまさに神の創造物とも言える。
詳しくはここに書かないが、興味のある方はweb等で検索してみては・・・。
さて話はここから。
その晩KANNAサンにパーティー誘われてノコノコついていったら、なんとそれは、
我々家族の歓迎会! ベリーサプライズであった。
総勢で30名強のこのメンバーは去年の世界のウチナーンチュ大会でデイゴホテルに宿泊した、
ハワイのウチナーンチュのメンバーであった。
『あの時はお世話になったね!』
『みんな元気?』
と数ヶ月ぶりの再開に皆が話の花を咲かせた。
家族単位で料理持ち寄りという、スタイルはアメリカで心はウチナーンチュの
ホームパーティーは娘達にも初めての経験で、とてもあたたかく楽しく過ごせた。
考えてみれば、我々はホテル屋の仕事として、確かにかなり力は入っていたが
当たり前のことをしただけ。そして彼らはそのことに対して代価を払ったわけだから、
恩義など感じる必要もない。
しかし、彼らのイチャリーバチョーデー精神(=袖すり合うも他生の縁)は、それでは良しとしない。
帰国の日の朝も、何名かの方が僕らの宿泊するホテルまでお土産を届けてくれた。
その中でも、85歳のおばあちゃんが自分で車を運転してきて、デイゴホテルの
スタッフの皆さんへと、ハワイ特産“コナコーヒー”を届けてくれて
『生きているうちにもう一度必ず行くからネ!』
といって別れを告げたときには、涙をこらえるのに必死であった。
ほとんどの方々が、これまでに大変な苦労をしてきたであろう移民3世以上で
日本語も片言しか話せないのにもかかわらず、彼らのふるさと沖縄を思う気持ちと
現代人が失いかけた心の温かさに、ただただ感激するのみで
『ハワイに来てよかった!』
とこの時しみじみと感じた。
コザへ帰ってきてハワイの事を思い出すとき、どうしても我が郷土沖縄とオーバーラップ
させてしまう。
ワイキキの美しい街並みに立ち並ぶ、外資系大ホテル群。
ワイキキからどんどん半径を広げて建設中のマンション、コンドミニアム、新作ホテル。
慢性的な渋滞。(ハワイも鉄軌道がない)
確かに開発は雇用の促進と税収を押し上げ、ビジネスチャンスも生まれるかもしれない。
しかし環境や住民の生活に影響を与えるのも又、事実であろう。
この地にこれ以上のものが必要なのだろうか?
20年後のハワイ、沖縄は想像もつかない。
子や孫に誇れるものであることを願わずにはいられない。

ハワイ島火山の火口跡。いまだ煙が噴出す!対岸まで数キロある。

料理持ち寄りサプライズパーティ。皆料理が上手だった。

ハワイ島では、こういう光景がいたるところで見られる。

ハワイ島の地元の人が行く公共ビーチ。静かでとても気持ちがイイ!
おわり
追伸 世界のウチナーンチュについては、カテゴリー《B級ホテルの内緒話》の中に紹介してあります。是非ご一読下さい。
2007年05月07日
ハワイ滞在記 VOL.3
ハワイめし
ハワイの男性は、全般的に筋肉質で大して鍛えてもないのに
ボディービルダーの様な体躯の持ち主が多い。
これは働き者であった先人の遺伝的要素によるものであると確信する。
反面、小錦系の体型もこれまた多い。(女性もそうだ)
これは後天的要素によるものだと確信する。(あたりまえか…)
僕の私的かつ勝手な創造であるが、その昔のハワイ王朝のその又前の
時代は、世界中の島々がそうであったように、きっと質素でつつましやかな
生活をしていたのであろう。
それが、ある時を境にアメリカに併合され、食も生活習慣も西洋文化の波が押し寄せ、あっという間に、それに飲み込まれていったのであろう。
その中である者は、先人より受け継いだDNAと食餌と労働(運動)のバランスを崩していき、あのように巨大化して行ったのではないかと推測する。
ハワイめしはなんと言っても量がハンパではない。
レストランなどで出てくるものは、肉中心でほぼ日本の2倍ほどの重量だ。
ハンバーガーも巨大でぶ厚く、ステーキは400グラムはありそうだ。
ハワイ名物ロコモコたるや見た目がなんとも不気味だ。
そして、味はマズ…いや、味というのは食するヒトの主観であり
好みであり、店の品質にもよるのでコメントは避ける。
あの量の料理を単品で頼み口に合わなかった場合、日本的貧乏根性で
全部平らげようなどと思わない方がイイ。素直に自分の適量で降参すべし。
その点、バイキング(ビュッフェスタイル)はいいですよ!おすすめです。
自分の好みのものを適量に、種類多く頂くことが出来る。
挑戦の末、マズいと思ったものはこれ以上食わなきゃ良い。
西洋を旅行するといつもの事だが、野菜欠乏症に陥り野菜を求めてさまよい、
世界中どこにでもある中華料理屋に行き着き、八宝菜などを摂取するが
『こんなもん中華料理じゃない~!』
などと怒りの雄たけびを上げ、病状を悪化させる羽目に陥るのだ。
話を戻そう。バイキングについてであった。
元来僕は、見た目豪華であるが自分の皿に取り分けると、とたんにその輝きを失い、なぜかみすぼらしく見えるあのバイキングという料理のスタイルが得意ではなかった。
しかし、この際そんな事は言っておれぬ。背に腹は換えられない。
そして、ハワイのバイキングはレベルが高い。料理の種類も多く味も合格点。何よりも野菜料理がふんだんにあるので野菜欠乏症にならずに済んだ。
その中でも〔TODAI〕(灯台)というレストランのバイキングは最高である。
あまのじゃくの僕が言うのだから間違いなし。
肉・魚介類・野菜・てんぷら・すし・野菜・うどん・そば・デザート・etc…
と世界中の料理をおそらく50種類以上これでもか、これでもか!という具合に並べてあるのだ。
あっそうそう、タラバガニも山盛りあったなぁ。
僕の食人生ベストスリーにランキングしてもいいバイキングであった。
これで、一人27米ドル(3200円位)はハワイの物価を考えると相当に安い。
けなしたりほめたり色々書いたが、帰国後体重計に乗ったら軽く3kg程
増量していた。
あーあ、そういえば毎日動けなくなるほどたらふく食っていたなぁ。
これじゃハワイ人の小錦化をコメントする資格なし!
ハワイ食に対するけなしの部分は僕の個人的な恨みなのであります。

ハワイ名物「ロコモコ」 ご飯の上にハンバーグを乗せグレービーソースをたっぷりかける

あまりでかいので二つに割り二人で食べた

「TODAI」ではないが、ハワイアンバイキング

食欲そそられる?かな
つづく
ハワイの男性は、全般的に筋肉質で大して鍛えてもないのに
ボディービルダーの様な体躯の持ち主が多い。
これは働き者であった先人の遺伝的要素によるものであると確信する。
反面、小錦系の体型もこれまた多い。(女性もそうだ)
これは後天的要素によるものだと確信する。(あたりまえか…)
僕の私的かつ勝手な創造であるが、その昔のハワイ王朝のその又前の
時代は、世界中の島々がそうであったように、きっと質素でつつましやかな
生活をしていたのであろう。
それが、ある時を境にアメリカに併合され、食も生活習慣も西洋文化の波が押し寄せ、あっという間に、それに飲み込まれていったのであろう。
その中である者は、先人より受け継いだDNAと食餌と労働(運動)のバランスを崩していき、あのように巨大化して行ったのではないかと推測する。
ハワイめしはなんと言っても量がハンパではない。
レストランなどで出てくるものは、肉中心でほぼ日本の2倍ほどの重量だ。
ハンバーガーも巨大でぶ厚く、ステーキは400グラムはありそうだ。
ハワイ名物ロコモコたるや見た目がなんとも不気味だ。
そして、味はマズ…いや、味というのは食するヒトの主観であり
好みであり、店の品質にもよるのでコメントは避ける。
あの量の料理を単品で頼み口に合わなかった場合、日本的貧乏根性で
全部平らげようなどと思わない方がイイ。素直に自分の適量で降参すべし。
その点、バイキング(ビュッフェスタイル)はいいですよ!おすすめです。
自分の好みのものを適量に、種類多く頂くことが出来る。
挑戦の末、マズいと思ったものはこれ以上食わなきゃ良い。
西洋を旅行するといつもの事だが、野菜欠乏症に陥り野菜を求めてさまよい、
世界中どこにでもある中華料理屋に行き着き、八宝菜などを摂取するが
『こんなもん中華料理じゃない~!』
などと怒りの雄たけびを上げ、病状を悪化させる羽目に陥るのだ。
話を戻そう。バイキングについてであった。
元来僕は、見た目豪華であるが自分の皿に取り分けると、とたんにその輝きを失い、なぜかみすぼらしく見えるあのバイキングという料理のスタイルが得意ではなかった。
しかし、この際そんな事は言っておれぬ。背に腹は換えられない。
そして、ハワイのバイキングはレベルが高い。料理の種類も多く味も合格点。何よりも野菜料理がふんだんにあるので野菜欠乏症にならずに済んだ。
その中でも〔TODAI〕(灯台)というレストランのバイキングは最高である。
あまのじゃくの僕が言うのだから間違いなし。
肉・魚介類・野菜・てんぷら・すし・野菜・うどん・そば・デザート・etc…
と世界中の料理をおそらく50種類以上これでもか、これでもか!という具合に並べてあるのだ。
あっそうそう、タラバガニも山盛りあったなぁ。
僕の食人生ベストスリーにランキングしてもいいバイキングであった。
これで、一人27米ドル(3200円位)はハワイの物価を考えると相当に安い。
けなしたりほめたり色々書いたが、帰国後体重計に乗ったら軽く3kg程
増量していた。
あーあ、そういえば毎日動けなくなるほどたらふく食っていたなぁ。
これじゃハワイ人の小錦化をコメントする資格なし!
ハワイ食に対するけなしの部分は僕の個人的な恨みなのであります。

ハワイ名物「ロコモコ」 ご飯の上にハンバーグを乗せグレービーソースをたっぷりかける

あまりでかいので二つに割り二人で食べた

「TODAI」ではないが、ハワイアンバイキング

食欲そそられる?かな
つづく
2007年04月26日
ハワイ滞在記 VOL.2
聞きかじりハワイ史
年間数百万人の観光客が訪れるハワイの顔は、キャピキャピ、ワクワク、ウキウキのヒトを完全弛緩状態にさせる南国特有の雰囲気と、ポリネシア人の持つ独特の文化、歴史と神話を重んじるという側面があるように思う。
前に書いたが、僕はこれまでにハワイの歴史とか文化という物に触れる機会がなかった。
知っている事といえば、カメハメハにフラにワイキキ、真珠湾というような単語だ。カメハメハって誰?という程浅薄の知識しかなかった。
『ポリネシアン文化センター』という所へ行ってきた。
東南植物園を数倍デカくした亜熱帯風のテーマパークで、園内にハワイを含むポリネシア各島の展示ブースがあり、それぞれの歴史や生活習慣、歌や踊りのアトラクションを見せてくれる。
ユーモア有りの心憎い演出で、大人も子供も思わず引き込まれてしまう。
センター所属の日本人ガイドさんがずっと付きっ切りで園内を案内してくれて、最後は屋外レストランで食事をしながらポリネシアンダンスショーを堪能する。という1日がかりの濃厚なツアーである。
我が家のガイド嬢は、大阪出身でブリガムヤング大学に留学中の学生さんであった。彼女はプロ顔負けのガイドぶりで特にハワイの歴史に詳しく、よく気が利いて我々を大いに満足させてくれた。
話は少しそれるが、ブリガムヤング大学ハワイ校はキリスト教系の団体(モルモン教)が運営する大学で弁護士のケントギルバート、バスケットボールの田臥勇太(在学中)の多くの著名人を輩出するが、特にハワイ校ではポリネシアやアジアからの留学生を多く受け入れており、裕福でない留学生の為のアルバイト先として『ポリネシアン文化センター』を優先的に斡旋するのだという。
我がガイド嬢も高校を卒業後すぐに日本を飛び出し、厳しいアメリカの大学の単位所得制度と生活の中で何とか自力でやりくりしながら、今年4年生で6月には晴れて卒業出来そうだという。
詳しくは割愛するが、日本の遊んでばかりの親の庇護の元でぬくぬくと暮らす大学生に聴かしてやりたいお話でした。
さて今はハワイの話であった。
ガイド嬢やその他の文献によると、ハワイ諸島は1795年カメハメハ1世によって初めて統一されハワイ王国の樹立を宣言された。その後100年余に渡り王政を維持するが1898年アメリカ合衆国ハワイ併合によってその短い王政を閉じる。
その間ハワイも又、列強の経済的侵略や政治的圧力にあえぎ、文化の破壊に悩まされた時代があったという。ハワイを太平洋の拠点とした欧米諸国の帝国主義的領土拡大政策の犠牲者としての小国の悲哀を感じる。まさに歴史の断面としてどの側からこの島を見るかによって、大きく見解が違うところであろう。
そのハワイの将来を憂えたハワイ最後の王デビット・カラカウア(最後の国王はリリウオカラニ女王)は1881年に日本に訪れ明治天皇と赤坂離宮で会見していることはあまり知られていない。もちろん、天皇と会見した初めての外国の国家元首である。その会見内容は。
1. ハワイ王朝と日本の皇室の縁組
2. 日本とハワイの合邦
3. 日本を中心としたハワイ・アジア連合の実現
などを要請したとの事である。当然?当時の日本はそれを受け入れる余力もなくこの提案は実現しなかった。
カラカウア王はその10年後病死し、ハワイ王国は消滅していった。
そして、日本は数十年後真珠湾奇襲から太平洋戦争へと突入しその後壊滅的打撃を受ける事になる。
まさに彼の危惧したとおりに歴史が動いていったのである。
はたして先のカラカウアの提案を明治政府が受け入れていれば、日本とハワイの歴史はどう変わったか? いやもしそうだったとした場合、これは世界史にまで大きな影響を与えたはずだ!
当然、真珠湾攻撃などという日米開戦の引き金となった出来事も起こり得なかっただろうし、アジアの独立ももっと速く実現したかもしれない。何よりも太平洋アジア連邦などというスケールのどでかい話は(平和が前提であるが)今のみみっちい日本を変えたのではないか?
イエイエ! 当時既に帝国主義的様相を示していた大日本帝国はアジアの盟主となり、さらにその侵略的性格を強め、アジアにも世界にも見放されもっとこっぴどく痛い目にあっていたに違いない・・・・。
と良からぬ創造をしながら、今はもう懐かしくなってきたハワイの風景を思い浮かべつつ夢路につく、あまのじゃくの僕であった。

ポリネシアンセンターのアトラクション。ポリネシア人は皆体格がいい。

水上での演技も圧巻だ!

王の住まい

ハワイ留学中のガイドさん
つづく
年間数百万人の観光客が訪れるハワイの顔は、キャピキャピ、ワクワク、ウキウキのヒトを完全弛緩状態にさせる南国特有の雰囲気と、ポリネシア人の持つ独特の文化、歴史と神話を重んじるという側面があるように思う。
前に書いたが、僕はこれまでにハワイの歴史とか文化という物に触れる機会がなかった。
知っている事といえば、カメハメハにフラにワイキキ、真珠湾というような単語だ。カメハメハって誰?という程浅薄の知識しかなかった。
『ポリネシアン文化センター』という所へ行ってきた。
東南植物園を数倍デカくした亜熱帯風のテーマパークで、園内にハワイを含むポリネシア各島の展示ブースがあり、それぞれの歴史や生活習慣、歌や踊りのアトラクションを見せてくれる。
ユーモア有りの心憎い演出で、大人も子供も思わず引き込まれてしまう。
センター所属の日本人ガイドさんがずっと付きっ切りで園内を案内してくれて、最後は屋外レストランで食事をしながらポリネシアンダンスショーを堪能する。という1日がかりの濃厚なツアーである。
我が家のガイド嬢は、大阪出身でブリガムヤング大学に留学中の学生さんであった。彼女はプロ顔負けのガイドぶりで特にハワイの歴史に詳しく、よく気が利いて我々を大いに満足させてくれた。
話は少しそれるが、ブリガムヤング大学ハワイ校はキリスト教系の団体(モルモン教)が運営する大学で弁護士のケントギルバート、バスケットボールの田臥勇太(在学中)の多くの著名人を輩出するが、特にハワイ校ではポリネシアやアジアからの留学生を多く受け入れており、裕福でない留学生の為のアルバイト先として『ポリネシアン文化センター』を優先的に斡旋するのだという。
我がガイド嬢も高校を卒業後すぐに日本を飛び出し、厳しいアメリカの大学の単位所得制度と生活の中で何とか自力でやりくりしながら、今年4年生で6月には晴れて卒業出来そうだという。
詳しくは割愛するが、日本の遊んでばかりの親の庇護の元でぬくぬくと暮らす大学生に聴かしてやりたいお話でした。
さて今はハワイの話であった。
ガイド嬢やその他の文献によると、ハワイ諸島は1795年カメハメハ1世によって初めて統一されハワイ王国の樹立を宣言された。その後100年余に渡り王政を維持するが1898年アメリカ合衆国ハワイ併合によってその短い王政を閉じる。
その間ハワイも又、列強の経済的侵略や政治的圧力にあえぎ、文化の破壊に悩まされた時代があったという。ハワイを太平洋の拠点とした欧米諸国の帝国主義的領土拡大政策の犠牲者としての小国の悲哀を感じる。まさに歴史の断面としてどの側からこの島を見るかによって、大きく見解が違うところであろう。
そのハワイの将来を憂えたハワイ最後の王デビット・カラカウア(最後の国王はリリウオカラニ女王)は1881年に日本に訪れ明治天皇と赤坂離宮で会見していることはあまり知られていない。もちろん、天皇と会見した初めての外国の国家元首である。その会見内容は。
1. ハワイ王朝と日本の皇室の縁組
2. 日本とハワイの合邦
3. 日本を中心としたハワイ・アジア連合の実現
などを要請したとの事である。当然?当時の日本はそれを受け入れる余力もなくこの提案は実現しなかった。
カラカウア王はその10年後病死し、ハワイ王国は消滅していった。
そして、日本は数十年後真珠湾奇襲から太平洋戦争へと突入しその後壊滅的打撃を受ける事になる。
まさに彼の危惧したとおりに歴史が動いていったのである。
はたして先のカラカウアの提案を明治政府が受け入れていれば、日本とハワイの歴史はどう変わったか? いやもしそうだったとした場合、これは世界史にまで大きな影響を与えたはずだ!
当然、真珠湾攻撃などという日米開戦の引き金となった出来事も起こり得なかっただろうし、アジアの独立ももっと速く実現したかもしれない。何よりも太平洋アジア連邦などというスケールのどでかい話は(平和が前提であるが)今のみみっちい日本を変えたのではないか?
イエイエ! 当時既に帝国主義的様相を示していた大日本帝国はアジアの盟主となり、さらにその侵略的性格を強め、アジアにも世界にも見放されもっとこっぴどく痛い目にあっていたに違いない・・・・。
と良からぬ創造をしながら、今はもう懐かしくなってきたハワイの風景を思い浮かべつつ夢路につく、あまのじゃくの僕であった。

ポリネシアンセンターのアトラクション。ポリネシア人は皆体格がいい。

水上での演技も圧巻だ!

王の住まい

ハワイ留学中のガイドさん
つづく
2007年04月22日
ハワイ滞在記 VOL1
ハワイホノルル空港朝早くに到着。これからハワイでの一週間が始まるのであるが、兼高かおる風(知ってるヒト?)旅行記的に書いていくと、僕の毒性では行き詰ってしまうので、はしょりながら思いつくままシリーズで書いていきたい。しかしそれでもかなりな量になるような気がするがしばらくの間お付き合い頂きたい。
時差ぼけと行き当たりばっ旅
早朝、空港からタクシーでホテルへ向かう。
ウチの家族は旅の興奮と時差ボケ疲労の混じった中途半端な表情である。
出発前から気になってはいたのであるが、いわゆる団体ツアーではないのでこの時間(8時半ごろ)に当地へ着いても何をやって良いか勝手が分からず、前述したように事前知識もないので、とりあえずホテルへチェックインしてひと心地ついてから行動したい。よってアーリーチェックイン(早めのチェックイン)をお願いしたい旨を代理店にお願いしていた。
前日宿泊の客の状況によるが『万全を尽くす』との返事であった。
つまりこれは前日宿泊のお客様のチェックアウトが済み次第急いで部屋の掃除に取り掛かり、我々に部屋を提供するとの意味である。
チェックアウトの期限が最大11時なのでどんなに遅く見積もっても午後12時には客室に入れるはずなのである。一人専門家ぶり悦に入っていた。
さてホテルに到着して先ほどの事を告げると、まだ予定の部屋のお客様のチェックインが済んでおらず、何時になるか分からないが『万全を尽くす!11時頃再度おいで願いたい』とのポリネシアン風フロントマンの説明であった。
物理的な問題なので仕方がない。同様な立場のヒトがロビーにはたくさん居てソファでだらしなく眠りこけている。
気持ちは分かるがココで負けては時差ボケの餌食だ。ホテルからあのワイキキビーチもカラカウア通りもすぐそこだ。初ハワイの興奮を糧に散歩に出かける。
見た通りなのだ! ワイキキビーチもそれに面したカラカウア通りもまさに創造通りどんぴしゃ! これは既視感なのだ。デジャブなのだ。
雑誌やTVで報道されている通りのあのハワイであった。
しかし僕にとってはそれは感動でもなんでもなく、ただの『ふーん!』に過ぎない。根っからのにあまのじゃくなのである。
さて遅い朝食にハワイ名物“ロコモコ”(後ほど食シーリーズで論評)を食い。
11時をだいぶ回ったので疲れた体を引きずりホテルに行って見ると、先ほどのポリネシア風フロントマンはおらず別のフロントマンに部屋の事を尋ねると、チェックインは15時だと言い張る。
アーリーチェックインの件は先ほども話したし、エージェントからも話はいっている筈だというと、なにやら連絡を取っていたが、動ずる気配も臆面もなく言い放った。
『掃除のスタッフは休憩に入った、14時まで戻ってこない。』
笑顔でいいやがった!
ココで怒ってはせっかくの南国のんびりムードに水をさす。
心の中で『ファッ○ユー!』と普段の温厚な僕に似使わない放送禁止用語を心の中で叫び、早くも次の行動に移った。
だらだらしていても仕方がないので、パンフレットから【リムジン貸切4時間ホノルル近郊観光コース日本人運転手つき】なるものを探し予約した。ハワイではタクシーの貸切もリムジンの貸切も料金的には大差ない。初回の嫌なムードを払拭すべくここは豪華に行こう!
しばらくしてやって来たリムジンは立派であったが運転手は日本語のあまりうまくない韓国人であった。
そうやって“いいかげんなハワイ”の初日が過ぎてゆく。
みよ!これがリムジン

ダイヤモンドヘッドあたりから望むウンタラビーチ(名前は忘れた)

この樹何の樹!

ホテルの部屋から望むワイキキビーチ方面

つづく
時差ぼけと行き当たりばっ旅
早朝、空港からタクシーでホテルへ向かう。
ウチの家族は旅の興奮と時差ボケ疲労の混じった中途半端な表情である。
出発前から気になってはいたのであるが、いわゆる団体ツアーではないのでこの時間(8時半ごろ)に当地へ着いても何をやって良いか勝手が分からず、前述したように事前知識もないので、とりあえずホテルへチェックインしてひと心地ついてから行動したい。よってアーリーチェックイン(早めのチェックイン)をお願いしたい旨を代理店にお願いしていた。
前日宿泊の客の状況によるが『万全を尽くす』との返事であった。
つまりこれは前日宿泊のお客様のチェックアウトが済み次第急いで部屋の掃除に取り掛かり、我々に部屋を提供するとの意味である。
チェックアウトの期限が最大11時なのでどんなに遅く見積もっても午後12時には客室に入れるはずなのである。一人専門家ぶり悦に入っていた。
さてホテルに到着して先ほどの事を告げると、まだ予定の部屋のお客様のチェックインが済んでおらず、何時になるか分からないが『万全を尽くす!11時頃再度おいで願いたい』とのポリネシアン風フロントマンの説明であった。
物理的な問題なので仕方がない。同様な立場のヒトがロビーにはたくさん居てソファでだらしなく眠りこけている。
気持ちは分かるがココで負けては時差ボケの餌食だ。ホテルからあのワイキキビーチもカラカウア通りもすぐそこだ。初ハワイの興奮を糧に散歩に出かける。
見た通りなのだ! ワイキキビーチもそれに面したカラカウア通りもまさに創造通りどんぴしゃ! これは既視感なのだ。デジャブなのだ。
雑誌やTVで報道されている通りのあのハワイであった。
しかし僕にとってはそれは感動でもなんでもなく、ただの『ふーん!』に過ぎない。根っからのにあまのじゃくなのである。
さて遅い朝食にハワイ名物“ロコモコ”(後ほど食シーリーズで論評)を食い。
11時をだいぶ回ったので疲れた体を引きずりホテルに行って見ると、先ほどのポリネシア風フロントマンはおらず別のフロントマンに部屋の事を尋ねると、チェックインは15時だと言い張る。
アーリーチェックインの件は先ほども話したし、エージェントからも話はいっている筈だというと、なにやら連絡を取っていたが、動ずる気配も臆面もなく言い放った。
『掃除のスタッフは休憩に入った、14時まで戻ってこない。』
笑顔でいいやがった!
ココで怒ってはせっかくの南国のんびりムードに水をさす。
心の中で『ファッ○ユー!』と普段の温厚な僕に似使わない放送禁止用語を心の中で叫び、早くも次の行動に移った。
だらだらしていても仕方がないので、パンフレットから【リムジン貸切4時間ホノルル近郊観光コース日本人運転手つき】なるものを探し予約した。ハワイではタクシーの貸切もリムジンの貸切も料金的には大差ない。初回の嫌なムードを払拭すべくここは豪華に行こう!
しばらくしてやって来たリムジンは立派であったが運転手は日本語のあまりうまくない韓国人であった。
そうやって“いいかげんなハワイ”の初日が過ぎてゆく。
みよ!これがリムジン

ダイヤモンドヘッドあたりから望むウンタラビーチ(名前は忘れた)

この樹何の樹!

ホテルの部屋から望むワイキキビーチ方面

つづく
2007年04月19日
ただいま!
ただいま!
家族全員元気で旅行から帰還いたしました。
といっても、もう既に10日程経っているのですが、やはり予想通り溜まりに溜まった仕事の処理と生来の怠惰な性格から、ブログの更新が今になってしまいました。お詫び申し上げます。
これからガンガン書いていきます。
さて、今までどこをほっつき歩いていたかというと、それは何を隠そう、
世界にとどろく有名リゾート地『ハワイ』であったのである。
『どこへ行くの?』と訊かれて、『ハワイです!』と答えると、
必ずと言っていいほど 『イイナー』 とか『スゴイネー』
のリアクションがある。それが妙にこそばゆくて人に言うのがテレ臭く、
罪悪感さえ感じてあまり世間に公表しなかった。
何よりも、浮つく気分でつい口を滑らすと今度は土産を買ってこなければならない羽目になる。
セコイがこれも避けたかった。
仕事柄結構あちこちへいく。
海外もいろいろなところへ行ったが、僕にとって今回が初ハワイだというと皆意外だという。
ヤンバーテー!(ソーナノデス!)僕は実は心のどこかでハワイを避けていた。
じゃらん(旅行雑誌)等を小脇に抱えたネーちゃんや、セレブ、芸能人、財界人のよく訪れる場所。
さらに別荘、コンドミニアム、億ション、タイムシェア、等の虚栄心射幸心扇動型不動産用語の対象地と来れば、自他共に認める超あまのじゃくの僕の“美しき旅心”をくすぐる訳がなかったのだ。
なぜハワイに行く事に決まったのかというところは、僕もよくわからないので割愛するがともかくハワイである。もう既にひねくれた先入観を充分に持っているので今回は事前調査を全くしなかった。
何といっても、太平洋の小さな島々に世界中から700万人強(沖縄は550万人だが滞在日数が圧倒的に違う)の観光客を引き寄せる、その吸引力たるや想像を絶するものに違いない。
その秘密はどこにあるのか? 自然の力かはたまたそのシステム? 人々?
興味は尽きない。あれだけ否定しながら、いくと決まれば妙に心が浮わつき期待感で充足気味の己の心はもう既にハワイと言うビックネームに飲み込まれ始めている・・・。
太平洋の大海原に小さな島々が見えてきた。様々な思いが僕の胸を去来しそして我が一家を乗せた機は、その澄み切ったさんご礁のコントラストの海面を眼下に望みながらホノルル国際空港へとゆっくりと降りてゆく。
さあいよいよだ! 僕の初ハワイ。
『チャービラサイ!』 ハワイの神々に挨拶した。
『アロハ!』 とどこからか聞こえた。
つづく
家族全員元気で旅行から帰還いたしました。
といっても、もう既に10日程経っているのですが、やはり予想通り溜まりに溜まった仕事の処理と生来の怠惰な性格から、ブログの更新が今になってしまいました。お詫び申し上げます。
これからガンガン書いていきます。
さて、今までどこをほっつき歩いていたかというと、それは何を隠そう、
世界にとどろく有名リゾート地『ハワイ』であったのである。
『どこへ行くの?』と訊かれて、『ハワイです!』と答えると、
必ずと言っていいほど 『イイナー』 とか『スゴイネー』
のリアクションがある。それが妙にこそばゆくて人に言うのがテレ臭く、
罪悪感さえ感じてあまり世間に公表しなかった。
何よりも、浮つく気分でつい口を滑らすと今度は土産を買ってこなければならない羽目になる。
セコイがこれも避けたかった。
仕事柄結構あちこちへいく。
海外もいろいろなところへ行ったが、僕にとって今回が初ハワイだというと皆意外だという。
ヤンバーテー!(ソーナノデス!)僕は実は心のどこかでハワイを避けていた。
じゃらん(旅行雑誌)等を小脇に抱えたネーちゃんや、セレブ、芸能人、財界人のよく訪れる場所。
さらに別荘、コンドミニアム、億ション、タイムシェア、等の虚栄心射幸心扇動型不動産用語の対象地と来れば、自他共に認める超あまのじゃくの僕の“美しき旅心”をくすぐる訳がなかったのだ。
なぜハワイに行く事に決まったのかというところは、僕もよくわからないので割愛するがともかくハワイである。もう既にひねくれた先入観を充分に持っているので今回は事前調査を全くしなかった。
何といっても、太平洋の小さな島々に世界中から700万人強(沖縄は550万人だが滞在日数が圧倒的に違う)の観光客を引き寄せる、その吸引力たるや想像を絶するものに違いない。
その秘密はどこにあるのか? 自然の力かはたまたそのシステム? 人々?
興味は尽きない。あれだけ否定しながら、いくと決まれば妙に心が浮わつき期待感で充足気味の己の心はもう既にハワイと言うビックネームに飲み込まれ始めている・・・。
太平洋の大海原に小さな島々が見えてきた。様々な思いが僕の胸を去来しそして我が一家を乗せた機は、その澄み切ったさんご礁のコントラストの海面を眼下に望みながらホノルル国際空港へとゆっくりと降りてゆく。
さあいよいよだ! 僕の初ハワイ。
『チャービラサイ!』 ハワイの神々に挨拶した。
『アロハ!』 とどこからか聞こえた。
つづく
2007年02月13日
台湾物販事情=花蓮編
さて前回の続きである。
台湾の北東部に花蓮というまことに風光明媚で、空気のおいしい街がある。
この地の観光のクライマックスは何といってもタロコ渓谷だ。タロコに行く為に花蓮を訪れると言っても過言でない。
海抜1000メートルあたりの険しい渓谷の細道を、正に右に左に崖っぷちから数100メートルの眼下の谷底の空色の川を眺めながら、ワゴン車で遊覧する。
山全体が大理石とヒスイの岩で出来ており、川の水がきらきらとヒスイ色に輝くのである。
高所閉所ジェットコースター恐怖症の僕は生きた心地がしないが、その圧倒的な自然の驚異と、機械を使わずつるはしのみで其処に山道を切り開いた人力のすさまじさに畏怖さえ感じる。
さて本題だ。
この渓谷ハイウェイ?を走っているとガイド氏が
「ここで写真撮影などしましょう!景色がきれいですよ。」
と言い途中休憩も兼ね車を降りる。
するとどこからともなく、原色民族衣装をまとった年配の男女の集団が現れ、かなりしつこくゴーインにタロコの風景写真らしきものを売りつける。
彼らは台湾先住山岳民族.のアミ族の末裔で、狩猟生活がままならない現代ではみやげ物売りが生活の糧となるようだ。
何か買うまで一歩も引かない強引さと、そう高くもない金額(600円位)だったので“まあ入山料だと思ってあきらめるべ”と全員がアミ族の攻撃に屈した。
しばらくの間、タロコ渓谷の自然の雄大さを堪能した後に再び花蓮の街へ舞い戻り今度は大理石工場の見学に行くのだと言う。
インテリガイド氏、ここで再び口調が滑らかになり講釈が始まる。
彼いわく、台湾の良質のヒスイには宇宙のパワーが集まってきて、精気がみなぎっている。これを身にまとうとどんな病気も災厄も撥ね退け、体中に力がみなぎってくる。 らしい…。
そこで登場するのがヒスイ?(本物かどうかは分からん)の玉で出来た数珠のような手首巻き?!
ガイド氏、おもむろに我々の仲間に親指と人差し指でわっかを作らせ、それをガイド氏が両手でくずしてみせる。
〈あたりまえだ。バカ! と心の中で悪態をつく〉
そして次にとった行動は我々を唖然とさせた。
数珠風ヒスイの手首巻きを同じ人の手首に巻きつけ、再び指わっかを作らせる。
そして、ナント今度はガイド氏顔を真っ赤にして両手でわっかを崩しにかかるが、指わっかびくともせず!
これぞ宇宙のエネルギー! ヒスイの魔力!
アホか~!! おのれは~!!
あまりの稚拙なばかばかしさに全員声がでなかった。
そして、めげないガイド氏は延々と10分間に渡りヒスイパワーの講釈は続いたが、誰一人まともに聞く耳持つものはいなかった。
我々の中では、その事件以来、歴史や文学に造詣が深く、民族の壁を乗り越えて尊敬の対象であったインテリ大卒ガイド氏の権威が失墜した。
その後、ひとしきり工場見学をすると、トイレ休憩と称して怪しげな倉庫の中へ全員誘導され建物のドアを閉められた。
これはイカン! 軟禁状態である! 国際問題である!
その中はブランド品ショップの様な高級感漂う土産物屋であった。
しかし売っているのは、ヒスイ系のアクセサリーと前述のあの『宇宙のパワーヒスイ数珠手首巻き』(5~6万もするのだ。安物は効き目が薄いのだと…)。
そしてこの店内も店員の『売ってやるぞ~』の闘志がみなぎっている。
すっかり戦闘意欲を失った我が“琉球15夜会摸合い義勇軍”は、いかにしてこの軟禁状態から抜け出すかに腐心し、交渉の末、身代金として激安アクセサリーコーナーにてブツを購入し、代金を支払い外の空気を吸う事が出来た。
(ちなみに僕は500円のヒスイ?の携帯ストラップ2個購入)
そうやって面白おかしく?売り子との販売購入バトルと金額交渉を敢行するのであるが、いかんせん向こうはプロ、生活がかかっている。
15夜会摸合い仲間VS台湾売り子 の対戦成績は我が方の圧倒的負け越しで幕を閉じるが、その入山料と身代金が以前に比べて格安であったので比較的容易に支払うことが出来た。
これも不況にあえぐニッポン人の懐具合を察した中国商人の作戦か?
恐るべし、中国4000年の歴史。
台湾の北東部に花蓮というまことに風光明媚で、空気のおいしい街がある。
この地の観光のクライマックスは何といってもタロコ渓谷だ。タロコに行く為に花蓮を訪れると言っても過言でない。
海抜1000メートルあたりの険しい渓谷の細道を、正に右に左に崖っぷちから数100メートルの眼下の谷底の空色の川を眺めながら、ワゴン車で遊覧する。
山全体が大理石とヒスイの岩で出来ており、川の水がきらきらとヒスイ色に輝くのである。
高所閉所ジェットコースター恐怖症の僕は生きた心地がしないが、その圧倒的な自然の驚異と、機械を使わずつるはしのみで其処に山道を切り開いた人力のすさまじさに畏怖さえ感じる。
さて本題だ。
この渓谷ハイウェイ?を走っているとガイド氏が
「ここで写真撮影などしましょう!景色がきれいですよ。」
と言い途中休憩も兼ね車を降りる。
するとどこからともなく、原色民族衣装をまとった年配の男女の集団が現れ、かなりしつこくゴーインにタロコの風景写真らしきものを売りつける。
彼らは台湾先住山岳民族.のアミ族の末裔で、狩猟生活がままならない現代ではみやげ物売りが生活の糧となるようだ。
何か買うまで一歩も引かない強引さと、そう高くもない金額(600円位)だったので“まあ入山料だと思ってあきらめるべ”と全員がアミ族の攻撃に屈した。
しばらくの間、タロコ渓谷の自然の雄大さを堪能した後に再び花蓮の街へ舞い戻り今度は大理石工場の見学に行くのだと言う。
インテリガイド氏、ここで再び口調が滑らかになり講釈が始まる。
彼いわく、台湾の良質のヒスイには宇宙のパワーが集まってきて、精気がみなぎっている。これを身にまとうとどんな病気も災厄も撥ね退け、体中に力がみなぎってくる。 らしい…。
そこで登場するのがヒスイ?(本物かどうかは分からん)の玉で出来た数珠のような手首巻き?!
ガイド氏、おもむろに我々の仲間に親指と人差し指でわっかを作らせ、それをガイド氏が両手でくずしてみせる。
〈あたりまえだ。バカ! と心の中で悪態をつく〉
そして次にとった行動は我々を唖然とさせた。
数珠風ヒスイの手首巻きを同じ人の手首に巻きつけ、再び指わっかを作らせる。
そして、ナント今度はガイド氏顔を真っ赤にして両手でわっかを崩しにかかるが、指わっかびくともせず!
これぞ宇宙のエネルギー! ヒスイの魔力!
アホか~!! おのれは~!!
あまりの稚拙なばかばかしさに全員声がでなかった。
そして、めげないガイド氏は延々と10分間に渡りヒスイパワーの講釈は続いたが、誰一人まともに聞く耳持つものはいなかった。
我々の中では、その事件以来、歴史や文学に造詣が深く、民族の壁を乗り越えて尊敬の対象であったインテリ大卒ガイド氏の権威が失墜した。
その後、ひとしきり工場見学をすると、トイレ休憩と称して怪しげな倉庫の中へ全員誘導され建物のドアを閉められた。
これはイカン! 軟禁状態である! 国際問題である!
その中はブランド品ショップの様な高級感漂う土産物屋であった。
しかし売っているのは、ヒスイ系のアクセサリーと前述のあの『宇宙のパワーヒスイ数珠手首巻き』(5~6万もするのだ。安物は効き目が薄いのだと…)。
そしてこの店内も店員の『売ってやるぞ~』の闘志がみなぎっている。
すっかり戦闘意欲を失った我が“琉球15夜会摸合い義勇軍”は、いかにしてこの軟禁状態から抜け出すかに腐心し、交渉の末、身代金として激安アクセサリーコーナーにてブツを購入し、代金を支払い外の空気を吸う事が出来た。
(ちなみに僕は500円のヒスイ?の携帯ストラップ2個購入)
そうやって面白おかしく?売り子との販売購入バトルと金額交渉を敢行するのであるが、いかんせん向こうはプロ、生活がかかっている。
15夜会摸合い仲間VS台湾売り子 の対戦成績は我が方の圧倒的負け越しで幕を閉じるが、その入山料と身代金が以前に比べて格安であったので比較的容易に支払うことが出来た。
これも不況にあえぐニッポン人の懐具合を察した中国商人の作戦か?
恐るべし、中国4000年の歴史。
2007年02月07日
台湾漫遊記=台湾物販事情
台湾から帰国して10日以上が過ぎてしまった。
ここのところ諸般の事情及び私事で、あれ以来(恐るべし台湾ビンロウ)続きを書いていない。
約束なので記憶が薄れぬうちに、意地でもあと2~3話書いてみたい。
アジアは大抵どの国でも日本人観光客に対して物売りの攻勢がすさまじい。
一時期の金余りニッポン人の、旅行=お土産(買い物)体質がそうさせると思うのだが、最近は旅行そのものを楽しむ人も増えてきたのに加え、輸送技術の発達により(世界の産物がどこにいても手に入る)旅先で物を買う事が目的とはならなくなってきたように思う。
かくいう私もその一人。
ツアーだと必ずと言っていいほど立ち寄る土産物屋や免税店で、売り子に付きまとわれるのが一番辛く憂鬱な時である。
以前に比べるとしつこさは薄らいでいるが、手を変え品を変え未だ存在する。
やはり中国商人の遺伝子は永遠に不滅である。
台北足ツボマッサージ店にて
ガイド氏によるとこの店は政府御用達しで、唯一漢方薬の販売が許可されている名門店だと説明するが、そういうことに敏感な僕は入店する時になにやら不吉な予感がした・・・。
店内には15台程のベット風長椅子が並べられており、その室内になぜか白衣の男女店員が20人以上はいて、一人に一人ずつ担当サンがついてくれて僕らを椅子に横たわらせマッサージが始まった。
いい気分に浸っていた・・・。
するとどこからか、これまた白衣を着た「先生」と呼ばれているエラソーオバーが現れ、我が健康体とは言いがたい身を眺め回しこう言う
「あなた糖尿アルナ!」
「不有!(もってない)」 と私
「じゃあ、肝臓悪いね!」
「不、没有!(そんなことはない)」
と少しウソつく私
「でも、少し血圧高いアルネ・・・?」
と心なしか声のトーンをやわらげ、やさしく問うオバーに
「すこしね!」
とついうっかり真面目に答えたバカな私に、このあと悲劇がおとずれる。
ニイタカヤマノボレの合言葉と共に (新高山は台湾一の高山3952メートルで富士山より高い。
現在玉山と呼ぶ) オバーの漢方薬販売攻勢が怒涛の真珠湾攻撃のように始まった。
私はその攻撃に耐え忍び、意地を張り勇敢にも購買拒否を繰り返す。
そうすると今度はマッサージ師とオバーの二人三脚足ツボ攻勢が始まり、これまでよりも増して力いっぱいに足ツボを攻めてくる。少しでも
『イタイッ!』
などと叫ぼうものなら、
「やはりアナタワルイよ!ここはツボあるよ」
などとほざくのであった・・・。
耐えがたきを耐え忍びがたきを忍び、やっとの思いで店外脱出に成功した私の両足は、不思議な事に入店前よりも実に軽やかで血流に満ち溢れ、スキップさえ踏めるほど若返っていた。
恐るべし。台湾足ツボマッサージ!
このはなし次回につづく・・・
ここのところ諸般の事情及び私事で、あれ以来(恐るべし台湾ビンロウ)続きを書いていない。
約束なので記憶が薄れぬうちに、意地でもあと2~3話書いてみたい。
アジアは大抵どの国でも日本人観光客に対して物売りの攻勢がすさまじい。
一時期の金余りニッポン人の、旅行=お土産(買い物)体質がそうさせると思うのだが、最近は旅行そのものを楽しむ人も増えてきたのに加え、輸送技術の発達により(世界の産物がどこにいても手に入る)旅先で物を買う事が目的とはならなくなってきたように思う。
かくいう私もその一人。
ツアーだと必ずと言っていいほど立ち寄る土産物屋や免税店で、売り子に付きまとわれるのが一番辛く憂鬱な時である。
以前に比べるとしつこさは薄らいでいるが、手を変え品を変え未だ存在する。
やはり中国商人の遺伝子は永遠に不滅である。
台北足ツボマッサージ店にて
ガイド氏によるとこの店は政府御用達しで、唯一漢方薬の販売が許可されている名門店だと説明するが、そういうことに敏感な僕は入店する時になにやら不吉な予感がした・・・。
店内には15台程のベット風長椅子が並べられており、その室内になぜか白衣の男女店員が20人以上はいて、一人に一人ずつ担当サンがついてくれて僕らを椅子に横たわらせマッサージが始まった。
いい気分に浸っていた・・・。
するとどこからか、これまた白衣を着た「先生」と呼ばれているエラソーオバーが現れ、我が健康体とは言いがたい身を眺め回しこう言う
「あなた糖尿アルナ!」
「不有!(もってない)」 と私
「じゃあ、肝臓悪いね!」
「不、没有!(そんなことはない)」
と少しウソつく私
「でも、少し血圧高いアルネ・・・?」
と心なしか声のトーンをやわらげ、やさしく問うオバーに
「すこしね!」
とついうっかり真面目に答えたバカな私に、このあと悲劇がおとずれる。
ニイタカヤマノボレの合言葉と共に (新高山は台湾一の高山3952メートルで富士山より高い。
現在玉山と呼ぶ) オバーの漢方薬販売攻勢が怒涛の真珠湾攻撃のように始まった。
私はその攻撃に耐え忍び、意地を張り勇敢にも購買拒否を繰り返す。
そうすると今度はマッサージ師とオバーの二人三脚足ツボ攻勢が始まり、これまでよりも増して力いっぱいに足ツボを攻めてくる。少しでも
『イタイッ!』
などと叫ぼうものなら、
「やはりアナタワルイよ!ここはツボあるよ」
などとほざくのであった・・・。
耐えがたきを耐え忍びがたきを忍び、やっとの思いで店外脱出に成功した私の両足は、不思議な事に入店前よりも実に軽やかで血流に満ち溢れ、スキップさえ踏めるほど若返っていた。
恐るべし。台湾足ツボマッサージ!
このはなし次回につづく・・・
2007年01月27日
台湾漫遊記=恐るべし『ビンロウ』
前回告知したとおり摸合仲間6名で台湾旅行に行ってきた。
殆どのアジアの都市がそうであるようにその国の首都に人口が一極集中しており、首都台北もご多分に漏れず人いきれで息苦しくなるほどの賑わいだ。
23年ぶりの台北は予想通りずいぶん変わっていた。101階の世界一ののっぽビルが出来ていたり故宮博物院はじめ観光地及びその周辺の町並みが様変わりしていた。
天気はよくなかったが、食べ物もとてもおいしく治安も良好で夜中に歩いていても危険を感じる事もなく快適に過ごせた。いい旅であった。
今回は旅行記よりも旅行中の様々なエピソードを中心にシリーズで書いてみたい。
檳椰とかいて『ビンロウ』と読む。
台湾原産の椰子の一種で、現地のヒトはその実を石灰を塗りつけた葉っぱに巻き、ガムのようにくちゃくちゃ噛む。大きさはどんぐりくらいで中は繊維質で味は何とも形容しがたい。
ちょうど味のないサトウキビを噛んでいるような感じかな・・・。(写真を撮り忘れたのが悔やまれる)
いやはやコレがなんともエライ代物。
ウチのツアーの現地ガイドは、大卒インテリ元ホテルマンの初老のナイスガイであったが、
彼にシカされて(おだてられ)一粒やってみる。
するとみるみる顔がほてり(噛みはじめから10数秒で)体中が熱くなり汗がドバッと出てきた。
そして数秒の後に体全体がふわふわしてきて雲の上を歩いているかのよう。
その実の汁は無色なのだがと唾液に反応し噛んでいると血のように赤くなる。
時おり唾液腺より湧いてくる唾液を「ぺっ!」などと吐き出し「ニッ!」と笑うとまるでホラー映画に登場する化け物の如し。
しかしこの効果も10分ほどで消えてしまい、また次の一粒をくちゃくちゃくちゃ・・・。
是即ち、台湾檳椰是即時覚醒効果有即時効果消失的椰子実液赤なのだ。(でたらめです)
こっ・・・これってもしかして禁止薬物? 覚醒剤の類か? はたまたマリファナLSD?
だましたな~! インテリガイドに詰めよると台湾では禁止でもなんでもなく、普通に道端で売られている。との事
そういえば『檳椰』の看板はいたるところにある。台北みたいな街中ではタバコ屋みたいに100メートルおきにあるし、国道沿いでは沖縄のアイスクリンの様に屋台で売っている。
台湾のトラックの長距離運転手や夜勤のタクシー運転手はみんな愛用者なのだそうだ。
「あんなもの口にして運転すると、飲酒運転より始末が悪い」
とガイド氏に抗議すると
「あなたは慣れてないからよ!慣れると目が冴えてよろしアルヨ!」
と言われてしまった。
ちなみにビンロウは台湾農家の大きな収入源なのだそうだ。
恐るべし台湾人民的生活習慣! 恐るべし台湾ビンロウ!
殆どのアジアの都市がそうであるようにその国の首都に人口が一極集中しており、首都台北もご多分に漏れず人いきれで息苦しくなるほどの賑わいだ。
23年ぶりの台北は予想通りずいぶん変わっていた。101階の世界一ののっぽビルが出来ていたり故宮博物院はじめ観光地及びその周辺の町並みが様変わりしていた。
天気はよくなかったが、食べ物もとてもおいしく治安も良好で夜中に歩いていても危険を感じる事もなく快適に過ごせた。いい旅であった。
今回は旅行記よりも旅行中の様々なエピソードを中心にシリーズで書いてみたい。
檳椰とかいて『ビンロウ』と読む。
台湾原産の椰子の一種で、現地のヒトはその実を石灰を塗りつけた葉っぱに巻き、ガムのようにくちゃくちゃ噛む。大きさはどんぐりくらいで中は繊維質で味は何とも形容しがたい。
ちょうど味のないサトウキビを噛んでいるような感じかな・・・。(写真を撮り忘れたのが悔やまれる)
いやはやコレがなんともエライ代物。
ウチのツアーの現地ガイドは、大卒インテリ元ホテルマンの初老のナイスガイであったが、
彼にシカされて(おだてられ)一粒やってみる。
するとみるみる顔がほてり(噛みはじめから10数秒で)体中が熱くなり汗がドバッと出てきた。
そして数秒の後に体全体がふわふわしてきて雲の上を歩いているかのよう。
その実の汁は無色なのだがと唾液に反応し噛んでいると血のように赤くなる。
時おり唾液腺より湧いてくる唾液を「ぺっ!」などと吐き出し「ニッ!」と笑うとまるでホラー映画に登場する化け物の如し。
しかしこの効果も10分ほどで消えてしまい、また次の一粒をくちゃくちゃくちゃ・・・。
是即ち、台湾檳椰是即時覚醒効果有即時効果消失的椰子実液赤なのだ。(でたらめです)
こっ・・・これってもしかして禁止薬物? 覚醒剤の類か? はたまたマリファナLSD?
だましたな~! インテリガイドに詰めよると台湾では禁止でもなんでもなく、普通に道端で売られている。との事
そういえば『檳椰』の看板はいたるところにある。台北みたいな街中ではタバコ屋みたいに100メートルおきにあるし、国道沿いでは沖縄のアイスクリンの様に屋台で売っている。
台湾のトラックの長距離運転手や夜勤のタクシー運転手はみんな愛用者なのだそうだ。
「あんなもの口にして運転すると、飲酒運転より始末が悪い」
とガイド氏に抗議すると
「あなたは慣れてないからよ!慣れると目が冴えてよろしアルヨ!」
と言われてしまった。
ちなみにビンロウは台湾農家の大きな収入源なのだそうだ。
恐るべし台湾人民的生活習慣! 恐るべし台湾ビンロウ!
