2009年06月11日

猫の怨念

猫の怨念

先週の事である。
エライ物を見てしまった。
これから語るのは、世にも恐ろしく不吉なハナシである。

私の末娘は現在中学3年生。高校受験を控え諸見里にある某学習塾に通っている。
授業が終わるのが夜の10時頃になるので、塾のある日は家内と交代で迎えに行く。

その日は私の当番の日。朝から小雨が降ったり止んだりの蒸し暑く陰気な天気だった。朝からもやもやと偏頭痛がしていて以前ならこんな日は決まって、私の下肢関節の節々に溜まった尿酸がワサワサと騒ぎ出し関節内神経を執拗に攻撃し歩行困難にせしめる。まさに暗雲立ち込めるスティーブンキング的な夜だった。
その日の晩は少しばかり塾に早く着いたので国道330号の路肩に車を寄せて、娘が出て来るのを待っていた。
とその時

『キキーッ! ドンッ!』

何かがぶつかる鈍い音が右側から聞こえた。
そして、タイヤをきしませなじがら一台の黒い軽乗用車が走り去る…。
車の窓越しに国道の内側斜線に一匹の白黒まだらの毛深い猫が横たわっているのが見えた。

『ひきにげだ…』

ここまではよくある光景であろう。
しかしこのハナシはここからなのだ。
白黒猫は突然

『ぎゃあ~~!』

この世の生物のものとも思えぬ断末魔の叫びを発しながら二本足で立ちあがった。血に染まり半分つぶれたその顔は苦しみと怒りにまみれ、阿修羅のごときの形相で天空を睨む。白黒まだらの全身が総猫毛立ち、苦しみを振り払いまき散らすかのようにぎゅるぎゅると柔らかな体をマツダロータリーエンジンの如くのスピードで回転させながらのた打ち回る。
フィギュアスケートのスピンをしながらカチャーシーを踊り狂うような態は、まるでこの世に未練と悔いを残し不本意ながら昇天してゆく白黒猫の恨みを表現した地獄の舞いであった。
国道330のアスファルトを阿鼻叫喚のステージと化した狂乱の舞は3分ほども続いただろうか。
血に染まった猫は白黒のその顔に怨み節の表情を浮かべ私のほうを向いた。
その瞬間目が合った。
『ヤバイ!』
本能的に目をそらしたが時すでに遅し。
そして最後に『ふぎゃっ!』と鳴いて、血の海のアスファルトの上で永遠の眠りについた。

授業の終わった娘を車に乗せ放心状態でウチに帰った私は、あの白黒猫が最後に見せた強い怨み目線が忘れられなかった。

元来私は小心者であるが、ユーレイの話になるとわりと平気なのである。
むしろ夏の夜の怪談話会になると積極的に参加する方だ。
しかし怨恨や動物霊となると話が別なのだ。
怨恨保持者は冷静さを欠いているので理論的でなさそうだし、動物霊は言葉が通じない。
どちらも話が通じないのでイイワケができない。

『もしかして…白黒猫氏は私の事を自分をひき殺した犯人だと思ってないだろうか?』
『そうだ!そうに違いない! 最後のあの目は絶対に私を恨んで死んでいった目だ!』
『猫のたたりは恐ろしいと言うではないか…』


そう考え始めると夜も眠れない。
最近どうも寝つきが悪い。夜中に冷や汗をかき急に起きたりするしトイレも近い。
不眠症とあの忌まわしい睡眠時無呼吸症候群を同時発症したかも知れない。
これ以上我が身に何か不幸な事が起こればそれは間違いなく
『猫の怨念』である。
と同時にそれは
『冤罪』だ!。



おわり
Posted by 漫遊国 at 11:05 | Comments(5) | TrackBack(0) | わたくしごと

2009年03月28日

Yの悲劇

Yの悲劇

以前、『思ひ出』というタイトルで青春の美しくも(ない)悲しい出来事を書いたら、各方面から大変な反響があり続編を望む声が多かった。この駄文を読む前に是非ご一読いただきたい。
自虐ネタなので発表の後、皆に嘲笑とあざけりの白い目・含み笑い目線で見られているような気がして、僕も心穏やかではなかった。
よって本日は他人ネタで行くことにする。


『思ひ出』に登場のY元(以下Y)は、眠りにつく僕の美しい顔に下品な落書きをした下手人の一味として天の裁きを受け、その罰として大学を留年する羽目になる。そのいきさつたるやドラマチックで劇的だ。


Yは高校時代ラグビー部の副主将でいわゆる典型的な体育会系。猪突猛進型で単純、熱しやすく冷め易い分かり易いタイプの性格である。毎晩ビールを鯨のごとく胃袋に流し込み、酔うと奇声を上げながら騒ぎ突然泣き出したりする誠に忙しいヒトなのだ。酒席で相手に議論を吹っかけるのが好きであるが、常にその非論理性を突かれ相手の返り討ちにあい、挙句、論破され凶暴なマナコで相手をにらみ返すも反論できずに部屋の壁に八つ当たりして額から血を流す。
そんなニクメないカワイイ奴なのであった。

Yはバイトに明け暮れていて授業終了後はほとんど毎日のようにバイト先に出勤し、かなりの高額を稼いでいた。その大半をマージャンで我々に貢ぎ、酒を喰らい毎晩のように怪気炎を上げるという荒れた連続性の規律を守り、青春を謳歌していた。

当然ながら学業はおろそかになる。


定期的にやって来る期末(後期)試験。
この日のこの科目は絶対にYにとって落とせない大事な必須科目である。落とすと進級できない。
一夜漬けで何とかなる代物ではない。かなりの難易度。
試験勉強やるにはやったが日ごろの怠慢がたたりまったく自信がない。《落第》の二文字がYの頭のなかを駆け巡る。

両親の顔が浮かんだ。浜比嘉島のオバァの顔も浮かんだ。天国のひいオジィも出てきた。
焦るY。しかし時間だけが無常にも刻一刻と過ぎてゆく。

すると、つけっぱなしのテレビから突然、松村和子の歌う当時流行った(かな?)
♪帰って来いよ~ 帰って来いよ~♪(この歌知ってますか?)
のフレーズが流れてきてYの鼓膜を振るわす。Yの心の琴線は刺激され、やがてYはトランス状態に陥った。
「そうだ!オレは4年で卒業してクニに帰るんだ!ここで落第なんか出来ない」
彫刻のように言葉が刻まれてゆく。

そして悪魔がささやく…
『ホントは実力で解けるんだけど、すこ~しだけ、ほんのすこ~しだけ便利な事しようね』

当日Yは一時間も早く登校し試験会場の教室のすみで自習を始める。
自習と言っても試験に出そうな問題を机にひたすら書き写すのみ。
その日の試験官は悪名高きカンニングハンターT事務官。
そこは計算済みのY。Tの死角になりそうな場所の机に陣取っていた。

試験が始まった。ヤマが当たった!  大ヤマだ!
これで難関突破!進級間違いなし!
Tの動きを観察しつつ必死で書き写す。バラ色の卒業後の人生を夢見ながら…。

『これは、なんだね。』
突然、地の底から湧き出るような不気味なささやき。夢から覚める。
背後にはK試験管がキツネ眼をさらに細めてほほに薄ら笑いさえ浮かべて、文字の書かれた机の上をコツコツ叩きながら立っている。
しまった!Kがいた。
大教室なので試験管は二人いる。ハンターTに気を取られKの存在を甘く見ていた。

奈落の底に突き落とされるとはこの事。
カンニングは重罪。これでバラ色の人生も進級も全てパー。
頭に浮かんだやさしく微笑む両親の顔もふるさとの風景も、台風時の衛星放送のように奇妙なモザイクがかかり、そして消えた。

頭が真っ白になりパニックに陥ったラガーマンYはとっさに思いついた!
学生は数千人もいる。オレの顔なぞ覚えているわけがない。
《証拠を消せ!》
名前の書かれた答案用紙をムンズとわしづかみにし、教室から飛び出した。自分のカバンを小脇に抱え全力で走った。脱兎のごとく走った。
それはまるでタッチダウンを狙いゴールへ向かうラガーマンの姿そのものであった。

100ヤード独走の後一息ついた。これで俺が会場に居たと言う物的証拠はなにもないはずだ。Yの試みは成功した。かに見えた。

その頃、Yの担当教授であるC教授の下に一枚の学生証が届いた。
C教授はまるでナチの高官も顔負けの不気味でネグラな表情を浮かべて言った。
『答案用紙をもって逃げ出したまでは良いが、学生証を置きっぱなしにするとはのう~。アホな奴よ。さて、どうしてくれようか…。』
帰宅後その事に気づいたYは、もはや為す術もなく、自室で時折雄叫びを上げながら男泣きに泣いた。
その後の結果は先に書いたとおりである。

先に卒業する僕たちの送別会の席で、荒れに荒れたYの目に惜別のそれではなく悔し涙が滲んでいたのを僕は見逃さなかった。
ちなみにその後の彼の口癖は
『悪いことはできない! 必ずバチが当たる!』であった。

エピローグ
もちろんこの物語は事実でありYも実在の人物である。Yは一年遅れでメデタク大学を卒業しコザに帰ってきて住んでいる。
思い当たる人物を見つけても決して他言せず、このブログを思い出しホクソ笑むだけにして頂きたい。
実直でまっすぐな性格の彼は現在、ある大手企業のサラリーマンとして肩書きも付、上司からは頼られ部下からは慕われる存在である。
そして酒を飲むと同僚や後輩にこう言っているそうだ。
『オレは勉強と学校が大好きで、5年間大学に通った!』

彼は今でも僕の親友である。
この事実をいつか白日の下に晒す事こそ親の友人の勤めだと信じている。そして生きがいでもある。


おわり
Posted by 漫遊国 at 19:47 | Comments(4) | TrackBack(0) | わたくしごと

2009年01月05日

思ひ出

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
長い事ブログの更新を怠っており申し訳ありません。
これに懲りずに時々のぞいてやって下さいね。



『思ひ出』
こうタイトルを書くと、美しきお話に聞こえるが決してそうではない。
僕の人生の恥かき経験ベストスリーに入る、トホホなハナシ。
新年早々こんな話はしたくないが鹿児島のサンマ君(学生時代の友人)のしつこいリクエストがあるのであえて書く。

約30年近く前。確か大学3年生だった頃のハナシ。

入学時の志はどこへやら、マージャンを覚え酒に飲まれかつ学校をサボりバイトへ行く、というその日暮らしの貧乏で女気なしの生活を送っていた。
そんな我々でも絶対に達成しなければならない目標があった。
『4年間で無事卒業する事!』
不可侵の聖域であった。
類は友を呼び、似たようなもの同志が租界を作り怠惰な生活を送るが、1年に2回しかない定期試験にはそれこそ全神経を集中して試験の傾向と対策・教授の癖・ここ数年間の問題の情報収集にCIA並みに奔走した。
したがって試験前の2週間ほどは模範的で真面目な学生に変身する。

この日も我々にとってのつらい2週間が終わり、恒例の試験終了徹夜大マージャン大会が仲間内で行われた。何とも言えない開放感を味わう至高のひと時である。
後で思えば悲劇の種はすでにその時に蒔かれていた。

昼過ぎに始まった大マージャン大会は深夜に終了し、その後いつもの様にY元の部屋で酒盛りが始まり開放感も手伝い大いに盛り上がり、2週間の緊張感から解き放たれた僕の体は酒の勢いも手伝い、まもなく深い眠りへと誘われていった…。

深い睡眠で精気を取り戻した若い体は、前夜の所業をもろともせずに翌朝早々と爽やかに目覚めた。
そこはもちろん前夜よりちらかったY元の部屋。昨日の仲間が2~3人だらしなく雑魚寝をしている。
『ケッ!情けないヤツらめ!』
捨てぜりふを吐きY元の部屋を出て自分の部屋へと足を向けた。

途中お腹がゴロゴロなった。若い健康な体は胃袋へのカロリーの補給を要求している。
そこで僕は自分の部屋へは戻らずにそのまま近くの食堂へ朝飯を食うために直行した。
行きつけの食堂で〈焼きそば定食〉なる炭水化物をおかずに炭水化物を食う、という栄養学的にはおぞましき暴挙を敢行し、ついでに近くの「山田商店」と言うスーパー兼雑貨屋でこまごまとした日用品を買い揃え家路についた。

その頃から僕の周りに漂う妙な空気に気づき始める。
食堂にいる時から薄々ながらではあるが、どうも他人の視線を感じる。
視線の元を振り返ると皆サッと目をそらす。
すれ違うヒトたちが一様に同様の反応を示す。
食堂の客もオバサンも山田商店の客もレジのオバサンも確かそうであったなぁ。
中には視線を逆の方向へ向け薄ら笑いを浮かべている者さえいる。

何とも言えないイヤな予感が脳裏をかすめた。

何気なしに道端に駐車中の車のウインドに顔を向ける。
俺の顔が映った。そこには別の顔がある。なんだこりゃ~! 叫ぶ。
目を凝らしてよく見る。
突然金属バットで頭を殴られたような感触を覚え、気を失いかけた。
そこに映った顔は、端正な僕のそれではなく、メチャクチャに落書きされた醜悪なゾンビ顔…。
芸術性のかけらも感じぬヒワイな放送禁止用語とおなじみのヤクザ屋サンキズマークに唐草模様にラーメン鉢のふち模様。
『ヤ・ラ・レ・タ…』
昨日Y元の部屋で爆睡中にやられたのだ!
創造してみてくれ。
この顔で知り合いの多い自分の暮らす街を歩き回り、食堂で焼きそば定食を食べ、山田商店で買い物をしたのだ。
己の情けなさと不甲斐なさと恥ずかしさが怒涛のように込み上げて来て、顔から火が吹いた。
自分のおかれた立場を知ってしまった以上まともにお天道様の元を歩く事が出来ない。

気づいた時点からのアパートの部屋までの距離は約100メートル。地球の裏側のブラジル程の距離に感じられた。
その後どのようにしてアパートの部屋に帰りついたかは意識が朦朧混濁していた為定かではないが、人生最速のダッシュであった事はほぼ間違いなかろう。

しばらくは皆の笑いものにされた。(その後は伝説)

その後の調査で犯行に加わったのはY元とY本とI原とG屋だと判明したが、たかが大学生のガキのイタズラ。ここで怒るのは大人気ない。僕も大人の対応で一緒に自虐的に悲しく笑った。

復讐心で煮えたぎる僕の心の奥底を本人達は知るよしもない。
Y元とY本とI原とG屋に対して毎晩ヤツラに天誅を加えんが為、丑の刻参りを(面倒だから…)創造で実行した。
その後Y元とI原はメデタク掟破りの留年! 学費を一年分多く払う羽目になり、Y本は2年続けて進級試験に失敗し大学を去ることになり、これまで払った学費を無駄にしてさびしく故郷の大分へ帰っていった。
少々呪いが効きすぎたようである。

しかし30年近く経っても、G屋だけにはなんら効果が現れず今や県内某銀行の某支店長に納まり、のうのうと日々を過ごしている。
気長に待つ事にする。
近い将来彼が失脚及びリストラの憂き目にあっても僕のせいでは断じてない。天誅なのだ。

おわり
Posted by 漫遊国 at 18:22 | Comments(4) | TrackBack(0) | わたくしごと

2008年07月09日

恥ずかしかったこと=青春の思い出

20数年前。名古屋の大学に通う大志を抱く青年だった頃のハナシ。

親元を離れ名古屋で4年間大学生活を過ごした。
初めての1人暮らし。
当初は、小うるさい親元から離れた開放感と1人暮らしの気軽さで、(女なしの)青春を満喫するが、それもつかの間。しばらくすると、炊事、洗濯、家計のやりくり全てが自己責任の1人暮らしの労苦と侘しさと人生の厳しさを実感する事となった。当然貧乏困窮生活であった。
今の僕が、怠惰ながらも何とか人並みの社会生活を過ごせているのも、あの頃の経験に依る所が大きい。

よって夏休みにはコザへ帰省するのであるが、交通手段は飛行機しかない。
当時は今ほど複雑な割引制度などなく、季節を問わず料金は均一でチケットの種類は往復割引、団体割引、回数券位のものであった。貧乏学生の家計にとっては大きな出費である。
しかし、世間は志し高き貧乏青年を見捨てない。スカイメイトなる有難き制度があった。
全国全路線全便空席さえあれば、50%割引。しつこいようだが半額である。
この制度は大いに利用させてもらった。

しかし、22歳になると同時にその権利が失効する。大切な童貞を失うかのごとく…。
そこで登場するのが偽造スカイメイトカード。
当時はおおらかゆえ、イマドキのtaspoのような訳の分からぬ官僚根性丸出しのコザカシイ審査などしない。

その手口はこうである。

カードの発行には、一応証明書の提出が義務付けられているので、年齢の証明として保険証を使用する。当時の保険証はカードではない。紙製。ここがミソなのだ。
保険証をコピーする。そしてその保険証のコピーの生年月日の生年の項を修正液で消し、その上から新たな生年月日を書き込む。
それを再びコピーしたら、押しも押されもせぬ証明書の完成である。
それを旅行代理店に持ち込み、スカイメイトカードを申請すると数日後には21歳以下の君が出来上がるという寸法だ。代理店に友人(共犯者)でもいればより完全犯罪の率が高い。
しかし、その手の事は決して真似してはイケナイ。
エッ? お前もヤッタだろって?
志高きセーネンがそんな事する訳がない。(もう時効だろ!)

話が大きくそれてしまった。おお、そうだ恥ずかしいハナシであった。言っておくが恥ずべきハナシではないのだよ。

そんな訳で当時は偽造スカイメイトが大いに出まわり、それなりに市場の活性化に役立っていたように思う。
これはあくまで僕の想像だが、航空会社もその実態を見て見ぬフリの感があり、あまりおおっぴらに認めてしまうのも社会通念上よくないと考え、時々抜き打ち的に検査をする。

スカイメイト使用の怪しい老け顔男女に空港のチェックインカウンターで、
『お客様、干支は何でしょうか?』
などと係りのネーチャンがスルドク笑顔で聞いてくる。
しかしテキもさるもの、そんな事先刻承知。余裕のしたり顔で
『辰年生まれの21歳』
などと聞かれもしないことまで答えて、ゲートをいとも簡単にくぐっていく。

そして僕の21歳の夏。
正真正銘のホンモノスカイメイト証をもって名古屋に戻る為に那覇空港にたたずむ。
友人たち、ふるさと沖縄とのしばしの別れを惜しみ、この夏の思い出を一つ一つ胸に刻み込むように瞑想に浸り、悦に入っていた。まるで映画の主人公。

アナウンスがあった。
どうやら乗れるらしい。
チェックインカウンターへ向かう。なかなか美形のネーチャンだ。
スカイメイト証を差し出す。
すると突然。笑顔の美形ネーチャンがその笑顔とは裏腹の無慈悲な機械声で聞いた
『お客様、干支は何でしょうか?』
激しく動揺した。俺は21歳に見えないのか? 俺は老け顔か?
自分の容姿を恨んだ! 親を恨んだ! そして叫んだ!
『しし座ですっ!』
一瞬の静寂の後、大爆笑が起こった。
カウンター内の美形ネーチャンのほかに数人の係りの人がこの会話を聞いていた。
ネーチャンは7秒ほど腹を抱えて笑った後、やっと絞り出すような声で言った。
『けっ結構です! あっあちらからお進み下さい。よ、よい旅を。』
何せ純情な21歳の青年である。顔から火が吹いた。汗が滴り落ちた。
朦朧として飛行機に乗り込むこの時の僕は、瞬間血圧200は超えていたに違いない。

名古屋までのフライトがどのような物であったかは覚えていない。
ただ、小牧空港に降り立つ飛行機の中から見る濃尾平野に沈みゆく夕日がもの凄くきれいだった。傷心の俺は夕日に問うた。
俺はオッサン顔か?

おわり
Posted by 漫遊国 at 03:58 | Comments(3) | TrackBack(0) | わたくしごと

2008年07月08日

暑気あたり

先日の出来事。

このところの暑さと二日酔いで最悪の気分。
今日は絶対に何があろうと誰に誘われようと、居留守や仮病を使ってでもおとなしくしていようと心に誓い、その決心を確固たるモノにする為。ツタヤへ行き一泊返しでビデオを借り、ついでに文庫本も買った。
朦朧としたアタマでは、ツタヤのカードを出すのももどかしく、そそくさと金を払い、店員の返却日の長たらしい説明を半分聞き流し家路へと急いだ。
7歩ほど歩いた後、店員に呼び止められた。
『お客さん、商品忘れてます!』
動揺した僕であったが、なにくわぬ顔でレジに戻った。
『ウム!』
などとエラソーに商品を受け取り、再びきびすを返す僕がいた。大人の対応なのだ。

そして翌日、久しぶりの買出しで、タウンプラザかねひでコザ十字路店に行く。
暑さと、買出し商品の多さと、前に並ぶオバサンのノロノロレジ払いに少々イライラが募ったが、ここは大人の対応。ササッとレジを済ませ、領収書を受け取り、家路へ向かう。
3歩ほど歩いてところで店員に呼び止められた。
『お客さん!商品!』
声がデカイ! 今度は他の客の視線を浴びてしまったので、さすがにエラソーに
『ウムッ!』
はマズイと思ったので、今度は
『ドモッ!ドモッ!』
とハニカミ薄ら笑いを浮かべながら商品をひったくり、その場をしのいだ。

こんな経験は初めてではない。僕は考え事をすると、ところかまわず瞑想状態に陥りこのような凡ミスをしでかすことがあるが、今回はチト違う。しかも二日つづけて…。

もはや我が脳は、アルコールで縮んでしまったのか、ハタマタ単なる暑さゆえの脳的暑気あたり(そんな物があるかどうかは分からない)なのか…。

などと思考をめぐらすうちに、何の脈絡もなく過去の恥ずかしい経験をいくつか思い出してしまった。

あれは20数年前の出来事。
まだ僕が紅顔の美少年だった頃のハナシ。

残念ながら本日は時間切れ。
次回へと続く・・・・。
Posted by 漫遊国 at 03:08 | Comments(7) | TrackBack(0) | わたくしごと

2008年04月28日

緊急報告!! ついにポリープ摘出術 

緊急報告!! 
ついに大腸ポリープ切除。


香港漫遊記シリーズの途中ですが、ここで緊急報告を行います。
かねてよりの懸案事項であった、わが大腸に巣喰い牢名主の如く君臨し大腸に出血をもたらし続けたにっくきポリープ氏の摘出手術を、去った4月の25日に北谷国体道路在玉城クリニックにて敢行した。
以下ドキュメントにて記す。
赤字はオレの心の声

8:30 
玉城クリニック到着。受付をする。言いつけ通りに昨夜8時以降飲食物は一切摂取せずに登院。

9:00
看護師より口頭にての問診の後。診察室とは別に奥のくつろぎルーム(勝手に名付けたがソファーが備え付けられ、テレビ雑誌などが閲覧できるゆったりとした空間。点滴を打つ患者さん専用ルームではなかろうか?)に案内される。その後下剤を経口投与。

(カラの大腸をさらに洗浄するため、下剤入りポカリスエット風味の水溶液2Lを2時間で喫飲するよう強要される。心なしか看護師さんが不敵の笑みを浮かべたように見えた。錯覚か?)

(ビールなら楽勝だが、ポカリ味の2L、2時間飲みはちとキツイ。コレもわが身のため。
たっぽんたっぽん言っている腹に無理やり何とか2時間で詰め込む。)


(しかし周りの人はどう思ったろうな? スナック等で使うような水差しの中にこの下剤が入っていて、飲み易いようにとの配慮からアイスベールに氷まで準備されており、コレを普通のグラスでテレビを見ながら薄ら笑いを浮かべたオッサンが飲んでいるのだぞ。まるでどこぞのバーで飲んでくだ巻くひねくれたオッサンそのものじゃないか!)

12:30
途中、当然のことながら何度も便意を催し排便に至るも、便色が透明になるまで手術は出来ないとの事。その時期が来たら速やかに申し出て、看護師が便色の検査をする旨の通達を受ける。
4回目の排便時に試験を受けるも不合格。5回目でやっと合格。

(よくもまあ喰わずとも残存物が腸にはこんなに残っているものだなあ。と関心しきりである?人に便を見せるというのはあまり気分の良い物ではないが、とりあえず合格して手術が受けられる事になったので、ハニカミうれしい。)

13:30
玉城医師の説明(インフォームドコンセントというやつだな)の後投薬。(腸の働きを無力化する)手術に備える。

13:45
肛門よりカメラ挿入。電気メスとともに大腸内を患部方向まで確実に進んでゆく。玉城医師の説明を受けながら、その様子はモニターで確認できる。痛みはほとんどない。
(オレの大腸内はピンクがかっていて健康的である。なかなか美しいではないか。しかし、痛みはないがカメラが奥に挿入される度にムズムズと奇妙な感覚に襲われるのは、もしかして…)
問題のポリープに辿り着く。8mm大の突起物が腸壁に融着しているのが確認され、電気メスにて焼き切る。少量の出血が認められるもクリップにて切除箇所を縫合し手術を終える。手術は問題なく成功である。
(なめこの風船みたいなのが腸壁に不様に垂れ下がっている。その根元にエイッとばかりに首輪様の電気メスを巻きつけバチッと焼ききる。痛みはまったくないが、視覚的には快感である。その後患部をホッチキスみたいなヤツで3箇所丁寧に塞いだ。心配になったがいずれ便と一緒に排出されるとの事。)

14:00
医療用寝台に横たわり点滴にて薬剤投与。休憩しながら経過を観察。
(術後なぜかすごく気持ちよく、点滴中に爆睡してしまった。イビキが気になったが周りにどのような迷惑をかけたかは不明。後の祭り。もしかして睡眠導入剤が入っていたのかもしれない。精神的な安堵感からか目覚めてもすごく快適であった。)

15:40
玉城医師より “ポリープは完全に除去された。良性か悪性かは検査後に通知するが、いずれにしても他に同様のポリープは確認できない為しばらくは安心である。” 旨と今後の注意点等の説明を受け、退院。すがすがしき気分で家路につく。
(8mm位のおぞましい球形の肉塊を見せられた。一週間位は激しい運動や旅行、刺激物の摂取及び飲酒は控えめにとの事。激しい運動はやらない自身があるが、飲酒は…。しかし今日まで我慢している。)

2008年4月28日 13:15 現在
その後、普通の生活をし何事も起こらずに現在に至っている。便色も良好。
何よりも、体のどこかにポリープを持つという罪悪感めいた感覚がオリモノのように沈殿していたが、コレもまた払拭され、洗い立ての真っ白な木綿のシャツのような気分である。(詩的だ…!)

大腸に以上あり。要検査! の診断を下された方は是非カメラ検査を受けることをお勧めする。まったく痛みを感じずに検査をしながらポリープを切っていくのだから一石二鳥である。そして当日に自力で歩いて帰れるのだ。(あくまで健康な人のことだが)
しいて言えば、前日の空腹感と当日のポカリ風下剤一気飲みがちときついが、手術という言葉におびえる事はない。

切除したポリープを見せてもらった。ちっちゃな梅干のような肉塊である。
写真に撮ったので、皆様にお見せしようと思ったが、ヒンシュクを買いそうなのでヤメにする。
是非にという物好きは個人的に連絡を。

終わり

次回より香港漫遊記に戻ります。

Posted by 漫遊国 at 14:17 | Comments(5) | TrackBack(0) | わたくしごと

2008年02月16日

告白!

告白

バレンタインデーのことではない!
私自身の体のことである。

1月の25日に会社で集団検診なるものを行った。(これは義務らしい)
検便・検尿・採血・飲バリウムレントゲン等かなり本格的なものであった。

その結果。
ある程度は覚悟していたが、やはり日頃の不摂生の賜物で肝臓及び中性脂肪にやや突出の検査結果が出た。これはいつもの事なので生活を改めること、運動及び粗食の励行の誓いを立てたのであるが…。

検診結果のほかに『担当医殿』という別封筒が添付されている。
《大腸ガンの疑いあり。要再検査》という旨の紹介状であった。

が~ん! 
目の前が真っ暗になった!
母親も3年前に大腸がんを切っている(今ぴんぴんしている)。
もうこれは疑いもない。進行癌ならアウトだ。
借金はどうしよう! あと継ぎは? 遺書は?
小心者の僕はあらぬ方向へ豊かな想像力を発揮する。

ここで登場。超おせっかいやきの姉。
ダンナが医者なのでわが親族の健康管理にやたらうるさい。
その姉より、コネのある中部の某大病院への予約の申し入れがあった。
あまのじゃくの僕は普段なら“自分で予約するからイイ”と断るのであるが(結果が姉に筒抜けになり今後の生活に不自由するので)、今回ばかりは小心者の僕が頭をもたげ素直に申し出を受ける。

そして某大病院への通院日。この日は医者の問診を受け検査日を確定する。
ナント、医者の説明によると大腸カメラによる検査は立て込んでおり、予約可能日が40日後との事。
こればかりは姉のコネも通じない。小心者の僕は進行癌に侵されて、もはや手術不能な状態の40日後の自分の姿を想像する。
これはイカン!
思い込み激しき小心者は、すぐさま我が偉大なるかかりつけ医、源河茂医師(漫遊国議長)の存在を思い出し、同医院に駆け込み専門医への紹介状を書いてもらう。
事はとんとん拍子に進み、北谷のたまきクリニックを紹介されその日のうちに通院、翌々日にとりあえず大腸のレントゲンでの検査を行うということで落ち着いた。
一日に三つの病院へ通うというのは初めての経験だ。

検査当日、前日の空腹に耐え通院し検査は15分で終わった。
肛門からバリウムを注入しレントゲンを撮るという荒業で、肛門から異物を混入するという新感覚の妙な気分であった。

結果。
『ポリープが1箇所認められるも、良性。ただし放置すると癌へ進行する恐れあり。一年以内に切除すべし。手術はいたって簡単。』

説明する玉城医師が救世主に見えた。
説明も易しく、わかりやすい。彼はきっと絶対名医だ。
手術の日取りを予約したのは言うまでもない。
帰りに道のりも足取りも軽い。健やかに穏やかに安眠できそうだ。

ウチに帰ると、女房が結果報告をするまでもなくすでに知っている模様。
そして妙にやさしい。

新たなる疑惑が…。

もしや…玉城医師から女房に電話があり。
『旦那さんは、もはや手遅れ末期ガン。せいぜい残りの人生を楽しませてあげなさい。』
と告げられたのでは…。

小心者の僕の眠れない日々が続く…。

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Posted by 漫遊国 at 17:47 | Comments(2) | TrackBack(0) | わたくしごと

2008年01月30日

琉球ゴールデンキングスVS新潟アルビレックス

ちょっと時間は経ってしまったが、先日26日プロバスケットボールBJリーグの試合を見る機会に恵まれた。
去年の秋、同じBJリーグの東京アパッチの合宿の際はお世話になった。との事で、琉球キングスが僕と家族を招待してくれた。
ややこしい話だが、アパッチの合宿の手配もろもろのお世話をキングスが担当し、その宿舎に選んだデイゴホテルの評判がおおむね好評だった事へのお礼と言うことらしい。
大変名誉なご招待なので二つ返事でOKした。

さて、当日案内された席はちょうどアルビレックスのベンチの真横。
プロレスで言えばリングサイド。相撲ならエラソーなタニマチおっさんが座る砂っかぶりの席。
選手の息づかいも間近に感じ、汗も飛び散り、監督の檄も全部聞こえる。普通ではゼ~ッタイに座れない(買えない)特等席だ。

試合の方は79対69でアルビレックスの勝利で終わったが、僕らは大満足であった。
初めて見るプロバスケットの生の試合。しかもリングサイド特等席。
2メートル前後の大男たちが宙を舞い、俊敏にコートを駆け抜ける。
その隙間を小柄な選手(といっても180センチ近くある)がこまねずみの様に、ディフェンダーをかいくぐり敵陣に突入する。
そのスピード感、臨場感は正直言ってテレビの画面では絶対に味わえない。

バスケットは他の競技に比べ点数がたくさん入るのでヤマ場も多く、見ている分にはルールもいたってわかり易い。
ハーフタイムには、アメフトのようにチアリーダーのパフォーマンスや、小学生の選抜選手によるエキシビションマッチなどが組まれ、観客を飽きさせない工夫がなされている。

残念だったのはあまりの面白さに試合中の白熱プレーの写真を一枚も取れなかったこと。(もしかして撮影禁止だったかも…)
うれしかったのは、近所の澤祇商店の次男の澤岻直人選手(ドラフト一位)が大黒柱として堂々たる働きを見せ、アルビレックスのサポーターから目の敵にされていたこと。

プロスポーツ初観戦の妻と二人の娘も大いに満足した、慌ただしかった2008年新春の宮城家にとって真に有意義な一日であった。

琉球キングスさんありがとう。今年は気合い入れて応援します。

ハーフタイム時のベンチの様子。この真横で観戦した。


試合終了。ファンに挨拶するキングス選手。

Posted by 漫遊国 at 19:02 | Comments(2) | TrackBack(0) | わたくしごと

2007年12月31日

大晦日

昔から、晦日は三十日とも書き、月の末日の事。大をつけると一年の末日の事。つまり今日。
なのだそうだ。娘の受け売りである。(何でも国語の時間に先生が話していたらしい)

この年末の10日間ほどは我ながら精力的に動けた。様に思う。
クリスマスイブコンサートもなかなか好評だったし、年賀状も期日前に投函できたし、
大掃除も終えたし、何とか冬のボーナスも出せた。
浮き沈みはあっても、この不況のご時勢(コザは間違いなくそうである)でなんとか乗りきれたのだ。よしとしよう!

この一週間、久々に仕入れ担当をかって出て毎朝農連市場通いをした。
いや~やはり市場はいいモンですな。
特にこの時期は。買い物客が多くワサワサと活気があって乱雑で、ヒトがここで生活を営んでいるという実感がひしひしと伝わってくる。なぜか心が洗われ、さわやかだ。
真っ只中にいると、この市場の単純で純粋な商取引に商売の原点を見るような気がする。

 賑わいのまるみつ青果と仲松商事の様子


パソコンに向かい、数値を読み、値があがった下がったで一喜一憂し、利益を手にするのも、あるいは意図的に仕掛けて油なんぞを暴騰させ巨万の暴利を得るのも、同じく商売に違いない。いったいどちらがヒトにとって有益なのだろうか…。

さて、この二日間連続で倉敷環境(産業ごみ廃棄場)へ通う。
倉庫や事務所のあらゆる所に、見捨てられ溜まりに溜まった大型ごみが約300キロ。
『捨てるには惜しい。』『いつか使う時があるのでは。』
ついつい捨てられずに、溜まっちまうんだな~これが。それは過去に
『とっておいててよかったね!』
の経験があるからに違いない。そんなことは稀だ。
掃除してて見つけたその存在すら忘れていた今必要でないもの。いつか使うのでは…まだ使えるのでは?と逡巡しているあなた。そんなものはこの機会にとっとと捨てちまおう! 気分いいですよ。

そしてまたまた買い忘れ続出、夕方今度はサ○エーで買い物、ナントここも先程の農連にも増してごった返している。さすが県内随一の大型スーパー。
しかしあることに気づいた。市場と大型スーパーでは客層が違う。
農連市場の客はどちらかというと、本家本元祖先崇拝大型仏壇所持親戚一同集結一家型を仕切るオバァが多いように思えるが、かたやスーパーにおいては分家小家族本家アウェイ参加型の新世代のヒトのほうが多いようだ。あくまで推測の域を出ないが…。

などとだらだらと書いているうちに、明日の新聞が来た。(変な表現だが)
これから、女房の実家へアウェイで年越しそばを食いにいく。

何はともあれ、皆さん来年もよろしくお願いします。
Posted by 漫遊国 at 20:07 | Comments(4) | TrackBack(0) | わたくしごと

2007年06月07日

突然ですが! 報告

私事で恐縮ですが、この度(正式には昨年12月に)デイゴホテルの社長に就任いたしました。
創業者の父から母、そして私へと3代目社長となり創業満41年を迎えます。
以前からこのブログで何らかの形で告知せねば、と思いつつもその機会を逸し現在に至っておりますが思い切って今、ご報告申し上げます。

“就任に際しての抱負”などと言うかしこまった事が苦手な私は、特に改まった目標は定めずに今まで通りの『上質のB級ホテル』確立の為邁進して行く所存です。
どうかシニカルであまのじゃくの私を見かけたら『ご愁傷様!』とお声掛け頂ければ勇気百倍です。

これで《なんもせんむ》のハンドルネームが使えなくなりました。気の利いたハンドルがあったらどなたかこっそり教えて下さい。

家内制手工業型同族会社の典型的な禅譲のパターンですが、高齢と人生の疲労を理由に会長に退いた前社長の私の母は、趣味を生かしたパンとケーキつくりで忙しく、以前にも増してとても生き生きしております。


1月13日。友人たちとホテルスタッフが社長就任パーティを催してくれた。
そのときの特注ケーキ。 絶対俺に似てねー! と思う・・・。
Posted by 漫遊国 at 12:25 | Comments(3) | TrackBack(0) | わたくしごと

2007年03月29日

沖縄脱出

今年は我が娘が高校受験であった。
志望校へ合格したら、家族で旅行へ行こうとはっぱをかけて来た。
そして見事目標達成した。約束を破るわけにも行かないので、痛い出費だが沖縄脱出を敢行します。

突然ですが、これから出かけて14:45発の便に乗ります。
しばらくブログをお休みしますが、漫遊記を楽しみにしておいてください。

それでは行って参ります。
Posted by 漫遊国 at 11:42 | Comments(1) | TrackBack(0) | わたくしごと

2007年01月18日

近況報告

最後にブログを更新してから何日過ぎて行ったか?
こんな駄文でも楽しみにしておられる方には申し訳なく思っています。ホント・・・
正月の間は真に品行方正な日々を送り、酒抜きの生活が当たり前になっていた矢先。
ちょいと通り会の鏡開きへ顔を出したら、調子こいて連チャンの酒びたり。
気を取り直し仕事に専念するも時すでに遅し。
たまった仕事と、スタッフや家族の冷やかな視線に精神的にも物理的にも追い詰められ
ブログの更新は二の次で本日に至る。
そして責任感の強い僕はパソコンに向かうのであったが・・・。

こんなことしておる場合ではない!まだ準備が出来ていない!
そう、私は明日より台湾へ旅行・・・イヤッ漫遊へと出立するのだ!(行かねばならぬ)
決して遊びではない!台湾の文化と歴史を尋ねて、そして世界の観光先進地としての
チャイニーズ台北の底力を探求する、という壮大なテーマを持って・・・。

という事で、行ってまいります。
見聞録はブログで発表します。



追記 

しかしあのスキッパーシリーズはどこへ行ったのでしょうか?
とお思いの方も多いようです。
必ず再開しますのでしばしのお待ちを。
Posted by 漫遊国 at 01:39 | Comments(2) | TrackBack(0) | わたくしごと

2007年01月01日

2007年

こんにちは2007年

ついに2007年がやってきた。
こうやって時は容赦なく、僕たちからこの世に残された時間を奪ってゆく。
これからは残された時間を数えながら生きていくのではなく
どのように充実した時を過ごしていくかを考えたい。

なんか妙にジジむさい発言である。
それはきっとさっきまでテレビの箱の中で響いていた除夜の鐘の
妙にものさびしい音色のせいだ。



2006年の珍問答

小学生の娘に聞かれた。

「お父さん、平和なときってどんなとき?」

「それはきっと平和という事を意識しなくなるとき。」

「それでは安全とは?」

「警官が失業するとき。」



あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。
Posted by 漫遊国 at 00:02 | Comments(3) | TrackBack(0) | わたくしごと

2006年10月07日

痛風後記

ダメージを受けた私の左足も、あれから( 10/4 前回ブログ、「痛っ!来たっ」を参照)90パーセント程度まで回復し、ゲットーゲットー(足を引きずって歩くさま)しなくて済むようになった。そして今や復活の日?を待つのだが・・・。

痛風について、恐る恐るインターネットで調べてみた。
でるわでるわ。色んなサイト、病院、個人の体験記まで、おもしろいことに皆さん治療法や見解が若干違う。

要約すると、痛風発作を起こす直接原因になるものが体内に蓄積された尿酸であり、尿酸は体外に排泄されにくい。
尿酸を構成する基となる物が、プリン体と呼ばれる物質である。ここまではほとんどの方の見解がほぼ一緒だ。

そしてそのプリン体はどこから来るのか?

食物よりの体内生産と飲食物からの経口摂取である。
体内生産は激しい運動やストレス、過度の飲酒によって引き起こされる。つまり筋肉や内臓の過度のエネルギーの消費の老廃物だという事らしい。
そしてプリン体の飲食物からの経口摂取による影響はあまりないとする説と、大いに関係があるとの説にここで分かれる。

と言うことは…。前者《経口摂取あまり影響なし》説を採れば、《ビールはプリン体が多く含まれるので、尿酸値の高い人は避けた方が良い》と言う説が覆される。人は皆自分に都合のいい事を信じたい。

「ビールのプリン体。影響なし!飲んでもいいのだ!」
と言うことになる。が、しかし、ここで喜んではいけない。
私の周りを見ても様々なデータ的にも痛風持ちは大酒飲みが多い、と言うことは、痛風の原因はビールのプリン体ではなく、過度の飲酒なのだ。とすると

「俺は尿酸値高いから、プリン体の少ない泡盛ね!これなら、いくら飲んでも大丈夫、大丈夫!」
が成立しなくなる。過度の飲酒が原因なのだからビールだろうが泡盛だろうがワイン・ウイスキー含めてアルコールの過剰摂取はダメよ!と言うことになる。
深酒大好きオジサンにとってはかなりショックだ。

痛風にかかりやすいタイプと言うのがあるらしく、エネルギーの出し入れの激しいタイプの人。何事にも積極的で仕事をバリバリこなし、毎晩暴飲暴食、運動はやる暇がない。その上でストレスをためている人なのだそうだ。

皆さんお心当たりありませんか?

食事もほどほどに過度の飲酒と激しい運動は控え、物事もテーゲーにこなしストレスを溜めないようにしよう!

ストレスの発散法?

やはり・・・。



                                  
Posted by 漫遊国 at 17:01 | Comments(1) | TrackBack(0) | わたくしごと

2006年10月04日

痛っ!来たっ!

今回はホテルの業務とまったく関係のない話です。

通風という悪魔が私の足先に棲み着いて10年近くになる。
時々予期せぬときにやって来て足先で悪さをする。
悪さと言うより拷問に近い。風が吹いても痛いというアレである。

過去、ヤツの数々の攻撃に耐えてきた私は、最近その撃退法(最小限の被害にとどめる)のコツなるものを覚え、それが効果を現し始めていた矢先でかなりみくびっていた節がある。

医学的にはどうだか知らないが、私の場合、発作(悪魔が来たという医学用語)の前兆をムズムズと感じると、すばやく悩まずに《ロキソニン》なる消炎鎮痛剤を経口投与し、安静状態を最低12時間保つ。さすれば大抵の場合ヤツも攻撃をあきらめ、次の獲物を求め去っていく。

しかし今回は違った。

いつもの如くの悪魔の攻撃に私はロキソニンパトリオットで応戦。
数時間後には攻撃がやみ、
「今回もオレの勝ちだな」
などと不適な意味不明の笑みを浮かべつつ勝利宣言をした。

心に隙があったのだろう。
諸般の事情もあったが、その後12時間の安静、つまりあまり激しく動き回らないという原則を怠り、買物、会議、打ち合わせ等々…と精力的に動き回ってしまった。

狡猾なヤツはそれを見逃さなかった。おそらくこの時を虎視眈々と狙っていたに違いない。
再攻撃を仕掛けられ私はあっけなく撃沈。
K-1でKOされた曙のような無残な姿だったろう。
こうなれば我が《ロキソニン》もほぼ無力である。
ひたすら攻撃の去るのをじ~っと痛みに耐えながら待つしかないのだ。

わかりますか?無残にも膨れ上がった私の左足。

あれから3日が経過し、悪魔との一進一退の攻防を繰り返したが、心なしか痛みが和らいできたように思う。
左足をさすりながらしみじみと健康の尊さを今実感している。

痛風の痛みというのは、はまるで台風のように去っていき、そして台風と違い何事も無かったかの如くその痕跡を残さない。

私を知る人は「のどもとすぎれば…」でどうせアンタはまたまた同じ生活を繰り返し、悪魔の再登場のお膳立てをしてもがき苦しむのだ。とお思いでしょうが、イエイエそんな事は絶対にありません。
過去の経験を生かし未来に備えるのだ。と戦火の中(病床)から堅く誓いを立てるそんな私ですが…。

しかし、それが人類史上において正しく実践されていれば、戦争など絶対に起きないはずだよな~。


                                          

参照文献(某病院のHPより抜粋)

痛風とは”風が吹いても痛い!”と言われるほどの激痛を伴う病気で 一昔前は中年男性特有の病気のように思われていましたが 最近では女性や若い年齢の人たちにもみられるようになりました。
痛風の基礎となる「高尿酸血症」を改善しないと 心臓病や腎臓病などの合併症をおこす恐い病気でこれを防ぐためには運動などの生活改善と共に食生活の改善が必要です。
Posted by 漫遊国 at 13:29 | Comments(8) | TrackBack(0) | わたくしごと